自分でなおす!物も体も心も!

素人が何でも自分で直す・治す記録。日常で壊れる物、痛む体、悪い癖、物も体も心もなおす小ネタから専門的なことまで。直らない時もあるけど。それも含めてぜひご自分の生活に活かしてください。written by SEGE

縄跳びのし過ぎで肩のいろいろなところが痛いのを背骨の際をごりごりするだけで治す

 縄跳びのし過ぎで肩のいろいろなところが痛いのを背骨の際をごりごりするだけで治す

f:id:SEGE:20230412112011p:image

薦め度☆☆☆☆

真剣度☆☆☆☆

難易度☆☆☆☆

技術度☆☆

解決度☆☆☆☆

対象:小4の息子の右肩

症状:右肩甲骨の右下から脇にかけてが、腕を動かすと痛いのと、腕をドンと下につくと肩が痛いのと、体を左側にひねると肩が痛い

 

成り行きと見立て

少し前ですが手首を治した回の続編です。

縄跳びで痛めた両手首を肘をもんで治す 

手首を直したら、実は肩も痛いと言い出して続けて施術しました。

 

手首に加えて肩も痛めているんですから、相当力んで縄跳びしているということですね。

 

縄跳びは左右同じ動きですが、右側しか痛みが出ていません。

 

これは息子は右側が力みやすいということは前から分かっていましたが、その傾向がもろに症状に出ていますね。

 

そういう前情報から、「これは力んだ結果痛めているな」という想像がつきます。

 

なので縄跳びをして力む場所にあてをつけていくということになります。

 

縄跳びって足の運動と思いきや、実は肩にものすごい力が入っているんですよね。

 

熟練していけばその力みはなくなっていきますが、そうでない人や力みやすい人は方がガチガチです。

 

痛みをはじめに訴えた場所は肩甲骨の下から脇にかけて。

 

肋間神経痛にもなりやすい子なんですが、肋間神経痛も肋骨(お腹側)に痛みが出ますが、背骨の際から伸びた神経の痛みです。

 

今回の痛みも背骨の際に原因がありそうかなとあてをつけました。

 

しかも息子は「ピキピキ痛む」と言っているので、これは限りなく肋間神経痛に近いですね。

手当ての様子(動画あり)

背骨の際がおそらくガチガチになっているので、そこを指圧でごりごりしてほぐします。

 

肋間神経痛もこれで治りますが、今回の痛みもこれで解決しました。

 

肩をドンと降ろすときの痛み、体をひねった時の痛みもすべて、背骨の際をごりごりするだけで解決しました!

 

痛みが出る部分の高さに合わせて背骨の際の位置も変えます。

 

肩甲骨の下の痛みは背骨の首の下から20cmくらいのところを中心に。

 

肩をドンを降ろしたり、ひねって痛いのは肩の上の方なので、背骨の上の方、首のつけねあたりの際をごりごりしたらどんぴしゃでした。

 

では動画もどうぞ。

youtu.be

まとめです。

痛い場所を施術せず、そこの痛みはどこから出てきているのかを考えましょう。どんな運藤でどんな癖で、どこに負荷がかかっているのかがヒントになります。

今回のように痛みはあちこちにあっても、原因は一か所なんて場合もありますよ。

 

関連記事

sege.hateblo.jp

 

おしまい

 

ご拝読ありがとうございました。

アーモンドの花と桜が似ていることと日ユ同祖論

今週のお題「今年は、お花見しましたか?」

アーモンドの花と桜が似ていることと日ユ同祖論

イスラエルから帰国しました。

 

ぼくが持ち帰ったものは、

①膨大な聖書とイエスの世界

②お土産

③コロナ

です。

 

最後にでっかい土産持ち帰りました(笑)。

 

得たものが膨大過ぎて知恵熱コロナかもしれません。

 

旅直前まで1か月ほどずっとハードな仕事をしていて、旅もハードだったため、疲れも出たのだと思います。

 

ぼくのコロナは喉の痛みはなく、熱と強い頭痛と全身の倦怠感と痛みです。

 

初コロナでしたね。発祥してから丸四日は寝たきりでした。

 

ようやく読み書きもできるようになってきたのでブログ再開です。

 

桜について言えば、帰ってきたらもう桜が散り始めていて、ピークを味わうことはできませんでした。

 

もっとも、帰ってきても隔離生活のため見に行くことができていませんが。

エルサレムのガイドさんも取り上げた日ユ同祖論

それで今回のツアーガイドは、イスラエルに30年在住の日本人の女性ガイドさんでした。

 

ものすごい博識なガイドさんで、ご主人はユダヤ人なので、聖書にもめちゃくちゃ詳しい方でした。

 

なので、本当にすごく勉強になりました。

 

そのガイドさんも日ユ同祖論に2回だけ触れました。

 

一つは「エルサレムの城壁に使われている紋章が、菊の紋と同じ」。

 

もう一つは「おでこや腕などにモーセのおきての書をつけておく装束が、日本の山伏とそっくり」。

 

この2つについて紹介してくださいましたが、まったく否定されませんでした。

 

我々はカトリックの神父様率いるコテコテの一般的なカトリックの集団なのに。

 

「ただの偶然です。」

 

と片づけなかったので、これはもしかして本当に信ぴょう性があるのかもしれないと思いました。

日本とユダヤは同祖とは思わない

ただぼくは「日ユ同祖論」という言葉には違和感があります。

 

というか同祖と言えばどの民族も必ず同祖にいきあたります。

 

そうではなく「2000~3000年くらい前は同じ民族だった」ということならぼくはちがう民族だと思っています。

 

人種が違いますよね。

 

「宗教の原点が同じ」なら分からないでもないです。

 

でもぼくはそうも思ってなくて、「日本に住んでいた人(弥生人)に、ユダヤ教の文化が伝わった」。そんなことではないかと思っています。

 

ただその場合、「日本の宗教の原点はユダヤ教である」のではないかと思います。

ユダヤ教と日本神道や宗教行事との共通点はたくさんある

これは調べれば今ではネット上でたくさん見つけることができます。

 

ぼく自身は、もともと日本二周の旅の最中で得た知識もあります。

 

当時はうそかまことか、すげえ都市伝説だなあとしか思っていませんでしたが。

 

キリスト教の信者でもなかったですし。

 

しかし現在は信者となっていて、聖書を2回読破しているので、聖書を読んでいる中で「あれ?これはもしや・・・」と思う場合がいくつもあります。

 

特に、ユダヤ教の神殿や聖所の構成が神社にそっくりです。

 

社に入る前に手を洗う場所があります。

 

社の中に、偶像はありません。

 

木造です。ユダヤ教ではレバノン杉です。

 

ケルビムがいて、鳳凰と照合されます。

 

聖所の入り口の名残が鳥居だと思われます。

 

聖なる石版を入れる聖櫃が、御神輿にそっくりです。

 

除酵際はイースト菌を家から一切なくす大掃除ですが、これは日本の大掃除です。大掃除をするのは神様に来てもらうためなのですが、ユダヤ教も同じです。

 

この除酵祭はユダヤの歴では1月、つまり正月です。

 

鏡餅はなぜひらべったいかというと、ユダヤの種なしパンがひらべったく、シルクロードで伝わって、日本では小麦粉から米に代わりました。

 

中国でいうモチ=餅は小麦粉のモチです。日本になるとモチ=米になります。

 

ユダヤ人はエジプトから脱出できたことをとにかく大きなお祝いとしています。

 

神さまがエジプト人だけを選んで殺すために、ユダヤ人は家の入口を羊の血でぬることでまぬがれました。

 

ぼくの推測では、神社の鳥居が赤いのはその名残ではないかと思っています。

 

そして急いで逃げるために、イースト菌(種)でふくらます時間もなく種なしパンを食べて逃げました。

 

なので種なしパンをとても大切にしています。それがシルクロードで米文化に入るとモチに代わるということです。

 

そしてユダヤの仮庵祭は、エジプトを出て荒野で生活していたときのことをわすれないためのお祭りです。

 

草木で仮の家を建てます。この名残りが十五夜であり、お盆と言われています。

 

などなど、数え上げるときりがありません。

 

これらはネット上でほとんどを見つけることができます。御自身で聖書を読んでわかる部分もあります。

 

ただし、本当かどうかはわかりません。でもロマンがあるなあ、とぼくは思います。

日本は本来無宗教ではなく、実はユダヤ教なのかもしれない

もしこれらのことが本当であるなら、日本人は建国前からユダヤ教に触れていて、神道として2000年間ずっと受け継いできたことになります。

 

そうすると、実は日本人は一神教なのでは?ということにもなってきます。

 

日本は一神教ではなく八百万の神といいますが、それをすべて上回る神というものを本来は信仰していた可能性があります。

 

または八百万の神が土着の信仰で、それと融合するかたちで神道ユダヤ教)が根付いていったと言えるかもしれません。

 

キリスト教もそうですね。ひろまっていく中で、土着の宗教と融合していきました。

 

クリスマスは本当のイエスの誕生日ではありません。土着の祭りや節目に合わせて12月24日と決められています。

 

そのように、日本人に合うようにユダヤ教は浸透していったのかもしれません。

 

しかも、ユダヤ教ではみだりに神さまの名前を言ってはいけないんですね。

 

偶像もありません。

 

そうなると伝えられた日本人がそれを「ユダヤ教」として守っていくことはとても難しいことのようにもおもえます。

 

名前もない(言ってはいけない)、形もない。そして当時は日本人には文字もありませんでした。

 

ユダヤ教が日本に伝わったとしても、それをユダヤ教として伝え続けることはやはり難しそうですね。

 

ただ、大和言葉の中に、今も日本語の中にユダヤヘブライ)語が残っているという報告はいくつも聞きますね。

アーモンドと桜は似ている

さて、聖書を読んでいると旧約聖書にはアーモンドの木がよく出てきます。

 

「これも日本とつながってる?」

 

と思うと、すぐに調べるくせがついてしまい、アーモンドを調べてみました。

 

アーモンドの木はとても桜と似ているんですね。

やばくないですか?素人がこれだけ見たら桜にしか見えないですよね。

 

ぼくには、桜が日本ではやっているのはユダヤ文化の影響かなと思えてくるんですよ。

 

2000年前か何かに何かあったんじゃないかと。

 

ユダヤ文化が伝わると同時にアーモンドの代わりにこの地域に適している桜が広まったとか。

 

なんかそんな気がしてくるんですよね。

 

桜もユダヤ教が伝わったひとつの証拠なのかもしれません。

 

おしまい

 

written by SEGE

ラジオで曲がリクエストされた件

今日からイスラエルに3月31日まで行ってきます。

 

今空港に向かってる途中にアップしてるので、あっさりしたレイアウトですいません。

 

キリスト教関係で声がかかり、巡礼ツアーに参加です。

 

自分から進んで行こうとは思わない場所なので、めちゃくちゃありがたいですね。

 

エスキリストの足跡をたどってきます。

 

ひさびさ過ぎる海外で浮き足立ってます。

 

めちゃくちゃ楽しみです。うまいワインも飲みたいです。

 

なのでブログの記事は更新できませんが、かわりに、最近ラジオでぼくの曲がリクエストされたので、紹介しておきます。

 

ゲストハウスを経営している友人が、西東京のラジオにゲストで出演して、それでリクエストしてくれました。

 

からのゲストハウスは「little japan」といって浅草橋にあります。

 

そしてぼくの「go as a friend」という歌をモットーにしてつくられているんですね。

 

「come as a guest, go as a friend」

 

〜出会ったときはゲストだけど、別れる時は友達でいよう〜

 

このメッセージをぼくはネパールで見つけて歌にしました。

 

パーソナリティの方からお願いされて、今回のために特別バージョンで録音してます。

 

パーソナリティの日置くんも、そのゲストハウスで出会った知り合いです。

 

ラジオはアーカイブYouTubeで聴けますので、ぜひチェックしてみてください。

 

「日常から半歩飛び出す旅」をテーマにしたラジオです。

https://www.youtube.com/channel/UCsKRQwK8gryddKQduWo6i6g

 

 

 

大根は栄養満点はうそ?!現代の食物は世界的に「甘すぎ」だとか

今週のお題「甘い」

大根は栄養満点はうそ?!現代の食物は世界的に糖分過多だとか

「これ行きたいなあ。どう思う?」

 

と言いながら奥さんが手にしていたのは、子供が学校でもらってくるワークショップのお知らせでした。

 

それは小麦を育てるワークショップで、ぼくもやってみたいなと思い、申し込んだら抽選に当たったので娘と2人で行ってきました。

 

小麦を育てると言っても、ただ小麦を育てるのではなく、特別な種を使います。

現代の作物は、毎年新たに種を購入して栽培している

みなさんご存じでしょうか。基本的に市場に出回っている食べ物は「F1」と言って、1回きりの使い切りの種からできています。

 

その1回なら前の代と同じ品質なので、整った作物がなるということです。

 

実った作物からとれた種からも栽培はできなくはないですが、品質がばらけるので、基本的には1回きりです。

 

なので、現代農家では種を毎回購入しています。

 

そこに疑問を感じる方も多いでしょう。

 

「できた種からまた育てるのじゃないの?」と。

 

「全然SDGsじゃないな。」と。

 

このワークショップは「SEEDS OF LIFE」という団体が主催しており、在来の種を大切にして育てるということを大切にしています。

 

今回のワークショップで使う種は、四国で伝統的に栽培されてきた、商業的に作られたのではない種を使います。

 

なんとなく奥さんの後押しで参加したワークショップでしたが、その話を聞いて「来てよかったー!面白い!」と思いました。

 

実際に種を植える前に、いろいろと説明を受けます。

日本の在来の野菜は何種類?

その説明の中でまず面白かったのは、「日本の在来の野菜は何種類あるのか?」というお話です。

 

さあ、何種類でしょうか。

 

答えは4種類だそうです。

 

そしてそれは何かというと、わさび、やまいも、うど、せりだそうです。

 

それ以外はすべて外来ということになります。

 

現代ではいろいろな作物が日本で栽培され、自生しています。

 

かつては鳥が種を運ぶ主な担い手でしたが、近代化とともに人の行き来が激しくなり、それとともにいろいろな作物が扱われるようになりました。

人は「おいしい=あまい」を追求して作物を品種改良してきた

次に心に残ったのはトウモロコシの話です。

 

原種のトウモロコシと現代のトウモロコシの写真を見せられました。

 

同じものがWikipediaにあったのでのせておきます。

トウモロコシ属 - Wikipedia

一番上がトウモロコシの原種だそうです。

 

人間はいろいろかけ合わせて今のようなトウモロコシにしてきました。

 

人がおいしいと感じる味、食べやすい味に変えてきました。

 

つまり、「甘く」してきました。

 

そして甘くすることを繰り返していったことによって、栄養分を比べると現代のトウモロコシは原種の数十分の一になってしまっているそうです。

 

たとえば大根もそうだと言います。

 

「この大根甘くておいしい!」

 

という大根を、「大根は体にいい」と思って食べていても、実は、大根の原種に比べたら栄養分は数十分の一だったりするそうです。

 

それにそもそも大根て小さかったみたいですよ。

 

ようするに、甘さを追求し、水分が増し、その分栄養分が減ってしまっているということです。

 

ちがった見方をすれば、かつては今の数十分の一の大きさの作物で今と同じ栄養分を摂れたともいえるわけです。

 

また、「甘い」と言えば果物ですが、その果物、最近では人が飼っている動物に与えるのを控え始めているところがあるそうです。

 

それはかつての果物よりも甘すぎて虫歯や糖尿病になる動物が増えているからだそうです。

 

このように、世界的に食べ物が「甘すぎ」になっていっています。

 

人はつい苦い物よりも、すっぱい物よりも甘い物を好みます。

 

その為に品種を改良し、農薬を使い、化学肥料を使ってきました。

 

だから、私たちが「健康のためにいい物を食べよう」と考えていることは、実は「何の作物を食べるか」では不十分かもしれません。

 

たとえば「全粒粉の小麦のパンは体にいい!」「玄米は栄養分が多い!」と単純に思ってたら危険です。

 

全粒粉とか玄米ということは周りが削られてないということです。

 

そこには農薬が残っている可能性があります。

 

なので全粒粉や玄米を食べる場合は、その畑で農薬や化学肥料が使われてないことを確かめた方がいいです。

 

また、その畑で使っていなくてもとなりの畑で使っていたら影響を受けます。

 

田んぼなら水も回ってきているかもしれません。

 

きりがない話かもしれませんし、ぼくもそんなに注意しているわけではないですが。

 

でも、それが現代の食の現実の一部です。

 

わたしたちが今食べているものは、それが何の食べ物なのかということ以上に、つきつめていけば、どうやって作られたのか、本当に栄養があるのか、ということまで考える必要があるということです。

 

アレルギーや現代病が増えているのも、この数十年分かっていなかっただけで、もしかしたらこうした食の問題が背景の一部にあるのではないかと思っています。

麦を育ててみる

「SEEDS OF LIFE」はこうした現代の問題に向き合って、改良が加速する前の在来の種を使って作物を育てる活動をしています。

 

最近、土と作物に関心が強くなっていたところなのですごく勉強になりました。

 

さて、説明はともかく作業はどんなだったでしょうか。

 

持ち物は2Lのペットボトルです。

 

これにワークショップで用意していただいた石をしき、土を入れて、種をまき、上に枯れ葉をかぶせました。

 

はじめの説明に退屈していた娘はここは楽しんでやっていました。

f:id:SEGE:20230319210953j:image

 

面白いことに、小麦だけでなく、そばの種も一緒にまきました。

そばと小麦の種↑

 

いっしょにまくことで「環境」が整うそうです。

本来作物は放っておいても育つもの

在来の種はとても強いので、ほとんどほっといても育つそうです。

 

以前沖縄の夢有民牧場ではたらいていた時、「マラバー農場」という、絶版の本に出合いました。

 

その本によると、作物は健全に育つと虫に食われないそうです。

 

生態系の中にどこかに欠陥があると、作物が本来の強さを失い、虫に食べられてしまうそうなんです。

 

当たり前ですが、人間の手が入っていない自然に欠陥はありません。

 

めちゃめちゃ健康です。だれも種をまかずとも、自分たちで育ちます。

 

これは植物にも昆虫や微生物にも多様性があり、それが自然に循環というか相互佐用を生んでいるからです。

 

それができていれば、作物は強くなり、虫に食べられないそうなんです。

 

こうしたことは最近また注目されてきていますが、このSEEDS OF LIFEの活動にも通じるところがあると思っています。

 

たとえばワークショップでの種まきでは、種はただばらまくです。

 

たくさんまいても、種は生きているので自分たちでコミュニケーションしているので、誰が芽を出すか自分たちで決めるそうです。

 

必要なときに必要な種が活動しはじめるということですね。

 

そして種はまいた瞬間、土の中の微生物コとミュニケーションをしはじめます。

 

種は根を出すと根から微生物がほしい栄養を出し、微生物は根に必要な栄養を持ってきます。

 

そういう人間には見えない相互作用の世界があるんですね。

 

これが農薬や化学肥料があると断絶します。

 

そうすると微生物が死にます。つまり土が死にます。

 

その土で作物を作ると、作物への栄養は年々減っていきます。作物は農薬や化学肥料がないと育たなくなります。

 

土は年々あせていき、なおさら農薬や化学肥料が必要になり悪循環になっていきます。

 

まだピンと来ない人もいるかと思いますが、こういった事実に基づいた、本来の生態系にのっとった耕作をする動きはこれからトレンドになりつつあります。

 

もう一つのトレンドは、「畑は耕してはいけない」というものもありますが、これはまたいつかふれるとします。

 

さて、SEEDS OF LIFEのワークショップは計3回で、収穫・製粉、調理まで扱ってくれるそうです。

 

収穫が楽しみです。

 

おしまい

 

written by SEGE

人生は一つのことにしぼらなくてもいい

今週のお題「わたしがとらわれていた『しなきゃ』」

人生は一つのことにしぼらなくてもいい

「何かで身を立てるには、一つのことに身をささげるべきだ。」

 

相田みつをさんが「いちずに一本道 いちずに一ツ事」という詩集を出しています。

 

かつてぼくはまさにそう思って生きていました。

 

でも、それは確かに正しいことでもありますが、そうあるべき人もいれば、そうじゃない人もいます。

 

確かに何かで身を立てるには、そこに全身全霊を注ぎ込まないといけないものがあります。

 

特にスポーツやアーティスト関係、創作関係、研究など、自分の個の力に頼るものはなおそうです。

 

ぼくは歌で、シンガーソングライターとして成功したいと思っていました。

 

当時はまだSNSの時代ではないので、個で売りだすのが難しい時代でした。

 

わかりやすく極端に言えば「メジャーデビューするかしないか」というところで多くの若者が音楽をやっていました。

 

ブルーハーツのようにインディーズでも全国区になっていく例が増えていましたが、それでもライブなどでムーブメントを起こす力がないと無理な話です。

 

ぼくはアジアを放浪しながら歌ったり、「日本二周ヒッチハイクの旅」というツアーや、「3か月で沖縄東京を何往復できるか」のツアーというものを行ったりし、ライブ三昧の数年間を過ごしました。

 

その中で喜納庄吉さんの前座を務めさせていただいたこともありました。

 

プロデューサーとして活動をサポートしてくださる業界の方がCDを制作してくださったり、ライブをぶっきんぐしてくれたり、それなりに進んだところもあります。

 

でも、あるとき行き詰ってしまいました。

 

ツアーを終えた時、この後どうすればいいか分からなくなったんですね。

 

一言で言えば将来が不安になったんです。

 

ぼくには3つ考えることがありました。

・付き合っている彼女とどうしていくか

・自分の親や兄弟とどうしていくか

・自分自身の心はどうしたいと思っているか

 

ぼくの家族は心配していたと思います。

 

「もう音楽はやめて普通に働いた方がいい」

「やるなら大手に売り込んだりした方がいい」

 

でもぼくは自分のやり方にこだわっていました。

 

「退路を断って音楽だけに身をささげるべきだ」

「身を捨てる覚悟を決めたときだけ立ち上がる力があるんだ」

「甘えがあるから本気になれないんだ」

「そういう覚悟を決め、闇を乗り越えた人たちがメジャーでやっていけるんだ」

 

ぼくはそう思い詰めていたのに、音楽活動に大きな変化は起きず、ただバイトとライブの日々が惰性で続いていきました。

 

当時彼女がいたぼくに、兄が言いました。

 

「おまえ、彼女どうするんだ。どっかで一線を引いて活動しないとかわいそうだぞ。」

と。

 

確かにぼくには何年も付き添ってくれていた彼女がいて、でもぼくはいつも自分のことばかり考えていて、ろくに彼氏らしい付き合い方をしていませんでした。

 

ライブとバイトと飲み会であまりデートもできず。かといってぼくが音楽をどういう展望でやっているのか伝えられず。

 

どうしたらいいか悩んでばかり。

 

兄に言われて「これはまずい」と思ったんですね。このままでは「おれは無責任な男だ」と。

 

彼女を大切にしない奴なんておれは最低な男だなと。

 

今度は「おれは彼女と結婚しなきゃだめだ」とまた極端に思い詰めます。

 

きっと彼女はすでに当時ぼくのことをもうあきらめていたと思います。ぼくと続けていくか悩んでいたと思います。

 

ぼくは自分が「こうじゃなきゃだめだ」「こうあるべきだ」という考えに毒されていて、相手や周りが見えてなかったと思います。

 

だから彼女からしたら、「本当に結婚するつもりなの?」と不振に思ったことでしょう。

 

とにかく彼女との思いはずれていても「このままの活動を続けていては結婚なんてできるわけがない」と思いました。

 

じゃあ、音楽をどうするか。

音楽をやめて結婚するか、音楽を続けて彼女と縁を切るか

ぼくの音楽活動はそれなりに活気はあったので、何年かたってから「SEGEはちょうど今からぐんぐん売れていくと思っていたのに」と言われたこともあります。

 

なのでそのまま音楽を続けていくという選択は客観的にはおかしくなかったと思います。

 

でもぼくの心の中は真っ二つに分かれて真っ暗闇でした。

 

もしも今音楽から身を引けば、ファンの人たちはきっと嘆くだろうということが想像できました。

 

「負け犬」とか「だめだろ!」と厳しい言葉を投げかけてくる人もいることも想像できました。

 

今までお世話になった人たちを裏切ることになるとも思いました。

 

じゃあ、続けるのか?

 

その苦しみの中で、当時ぼくはパニック障害になります。

 

顎関節症になり、声が出にくくなり、動悸が急に激しくなったり、衝動的に暴力的になりそうになったり。

 

ホームに立つことや踏切の前に立つことがとても怖かったです。飛び込んでしまいそうになるんですね。

 

音楽を続けることの恐怖は、当時はまだその理由が分かり切っていませんでした。

 

でも当時はもう人前で歌うこと自体が苦しくて苦しくて仕方なかったです。

 

ぼくは自分で歌を作り、それを売って、ライブ活動をし、一生をそれで身を立てられることを目標にしていました。

 

だからそのためには音楽一つにしぼる必要があると思っていたんですね。

 

そこに人を巻き込みたくもないし、きっと家族は反対する道なので家族とも縁を切って進まないといけないとも思いました。

 

彼女とも家族とも縁を切って、その絶望の中でもしかたしたら新しいものが生み出されるかもしれない。

 

でもたとえそうしたとしても成功するとは限らないですよね。

 

うまくいかなかったらぼくはボロボロになるでしょう。

 

そんなことを考えていると思いが立ち上がってきました。

 

「普通に社会で働いてみたい」

 

それは当時の苦しい状況からただ逃げたいという思いの表れだったのかもしれません。

 

当時はそう思っていました。

 

「おれは逃げたいからそう思うんだ」と。

 

ただ、そっちを選んだとしても、歌を続けてほしい人たちからは落胆と失望の思いを持たれます。

 

どっちを選んでも地獄でした。

自分で人生の選択をするということ自体が自分を救う

結果として、ぼくは音楽から身を引く選択をします。

 

もう身も心もぼろぼろで、これ以上このまま進んだら人生を終えてしまうかもしれないと思っていたからです。

 

「この1年でメジャーデビューできなかったら、音楽から身を引いて、社会で仕事をする」

 

と宣言し、最後の1年を迎えます。

 

結局何も起きず、ぼくは音楽活動を休止しました。

 

その後ぼくは仕事に就き、3年ほどして音楽活動を再開しました。

 

人は、「自分で選んだ」「コントロールした」と思える時、平安でいられます。

 

人は、自分で自分のことが選択ができない時に心が壊れます。

 

選択肢の内容が大事なのではなく、どちらを選ぶかが大事なのではなく、「自分で選ぶ」ということが人生を進めます。

 

ぼくは音楽をいったん活動休止して平安が訪れました。

 

そのうえで再び活動を始め、あれほど苦痛だった自分の歌を、心から歌うことができるようになりました。

 

それは、自分で自分を認められた、ゆるせたからです。

 

「それは仕事をして安定を手にしたからではないの?夢をあきらめて、自分の身を守ったんじゃないの?夢よりも安定が大事なの?」

 

という声が聞こえてきます。

 

そういう部分もあるかもしれません。

 

でも違います。

「身を立てるなら何か一つで」と思わなくていい

ぼくの夢は、音楽一つで身をたてることではなかったということです。

 

ぼくは元来、なんでもやりたがり屋なので、「何か一つのことしかできない」状態がぼくにとっての苦しみなのです。

 

音楽から身を引いたとき、ぼくは「二度と音楽はしない」と思っていました。

 

でもそれは「人生は一つのことにしぼらなくてはならない」という呪縛にとらわれて思っていたからです。

 

ぼくはあるとき宇都宮の「クウチャリズモ」の店長さんに言われました。

 

「SEGE、やりたいことは何でもやらないとだめだよ。おれも言われるんだよ。雑貨だけにしろとか。一つにしぼればいいって。でもおれはそうは思わない。コーヒーも格闘技も音楽も、何でもやるって決めてる。」

 

それを言われてぼくはハッとしました。

 

「そうか。一本道だけが人生じゃないのか。そうした方がいい人もいるし、そうじゃなくて何でも手を出してやり続ける人もいていいのか。」

 

ぼくは旅をして、かつて分かっていたはずなんです。

 

「真実は一つじゃなくて、真実は人生の分だけある」と。

 

一つの考えがみんなにふさわしいわけじゃないのです。

 

いろんな人生があっていいんです。

 

ぼくはそれで分かりました。

 

「おれは何でもやりたい人だから何でもやろう。」

 

そしてそういう人たちの後押しをしたいと思っています。

まずは自分を大切にすることから始めよう

ぼくが二つの選択に割れていた時、ぼくは自分よりもまわりの人の言葉に振り回されていたと思います。

 

「こうしたらあの人はこう言うんじゃないか。」

 

そうやって人のことばかり考えて、一見自分を守っているようで、自分を全然無視しているんですね。

 

ぼくはどんぞこまで落ちて、「もうだめだ自分がだめになってしまう」と思って、自分を救う道を選びました。

 

「夢を捨てて自分の平安をとろう」

 

そう思いました。

 

でも、当時「夢」と言っていたことが本当に「夢」だったのかは眉唾物です。

 

ぼくは「音楽で身を立てること=夢」という分かりやすい構図にあてはめて考えていただけです。

 

違いました。

 

ぼくの夢は「自分のしたいことを人生で全てかなえていく」ということです。

 

その中に、

「結婚する」

「家族を作る」

「仕事をする」

「家を持つ」

「歌を続ける」

「ピアノを弾けるようにする」

「英語ができるようになる」

「旅をする」

「人生にはいろいろな生き方があってよいということを伝える」

「人を助ける」

などなどたくさんのことがあります。

 

そして当時ぼくが音楽だけを続けていたら、この道にはこられなかったかもしれません。

 

後悔していたかもしれません。

 

ぼくは自分を救ってあげてよかったと思いました。

 

そしてぼくは自分がどれだけ自分を傷つけてきたか、自分をきらいだったかが後でわかりました。

 

まずは自分の心を守ること、自分を救ってあげることが優先です。

 

だれかが自分のかわりに生きてくれるわけではありません。

 

自分の人生を自分で決めるということが、自分を救う一歩になります。

 

自分という人間は一人しかいないし、自分の心は自分にか分からないものです。

 

自分だけがしっくりくる生き方が必ずあります。

 

その自分を認め、ゆるし、自分をまず満たすことから始めましょう。

 

色々な人生があっていいですね。

 

おしまい

 

written by SEGE

タッチパネルが反応しない時に再起動する方法【iphone8】

タッチパネルが反応しない時に再起動する方法【iphone8】

f:id:SEGE:20230305204244p:image

薦め度☆☆☆☆☆

真剣度☆☆☆☆☆

難易度☆☆☆☆

技術度☆

解決度☆☆☆☆☆

対象:iphone8

症状:タッチパネルが急に利かなくなり、再起動をかけようにも「スライド」ができず、再起動もできない。

 

成り行きと見立て

stand.fmに配信をアップし終わった後、使おうと思ったら急にタッチが利かなくなりました。

 

再起動かけようかなと思ってやってみると、再起動に入るための「スライド」がタッチで行うため、それもできない。

 

他の端末で、タッチパネルが反応しない原因を調べると、「大きなデータを動かした後に起きることがある」と書いてある。

 

きっとこれだなと思い、その解決方法の中にやはり「再起動をかける」というのがある。

 

画面を拭いたり、画面のシートをはがしたりというのももちろんやってみたので、もう再起動するしかない。

 

再起動して成功するかどうかわからないけどやるしかないですよね。

タッチパネルを使わずに再起動をする方法

それで今度は「タッチパネルを使わずに再起動をする方法」を調べてみました。

iPhoneの画面が反応しない時|強制的に再起動する方法 | KYOMI

  • 【iPhoneX/ iPhone8/ iPhone8 Plus】
    1.音量を上げるボタンを押してすぐ離す
    2.音量を下げるボタンを押してすぐ離す
    3.サイドボタンをAppleロゴが表示されるまで長押し
  • 【iPhone7/ iPhone7 Plus】
    サイドボタンと音量を下げるボタンを同時に、Appleロゴが表示されるまで長押し
  • 【iPhone 6s 以前/ iPad/ iPod touch
    サイドボタンとホームボタンを同時に、Appleロゴが表示されるまで長押し

 

ぼくのはiphone8なので一番上のやり方です。

 

でも、「押してすぐ離す」ということがいまいちピンと来ず。

 

それと1.2.3.のどれかをすればいいのかなと思ったら、全部やらなきゃいけないみたいで、はじめに読んだときはできませんでした。

 

いろいろ調べているうちに、ようやくやり方がわかり、動画にとりましたので分かりやすいと思います。

 

再起動をしたら、無事、タッチパネルが普通に使えるようになりました。

動画で説明

①左の音量の上のボタンを押してすぐ離す

②その後左の音量の下のボタンを押してすぐ離す

③最後に右のサイドボタンを長押しする

④ずっと長押しすると画面がオフになる

⑤サイドボタンをまた長押しするアップルマークが出て起動する

①~⑤を連続して行ってください。

youtu.be

まとめです。

不具合は再起動で直ることがほとんどです。そして再起動する方法も複数あります。もうどうにもならない時は、PCのitunesに接続して進める方法もあります。おかしいなと思ったときは、まず調べてみましょう。

おしまい

 

ご拝読ありがとうございました。

日常を旅にしよう「come as a guest, go as a friend」

日常を旅にしよう「come as a guest, go as a friend」 

おやようございます。SEGEです。

 

今度FM西東京でぼくの歌が流れます。今回のために特別にレコーディングしました。

 

ラジオは湘南FMに生出演させていただいのがだいぶ前ですが、それ以来ですね。

 

知り合いがFM西東京ラジオパーソナリティをしておりまして、そのラジオにこれまた古い友達が出演することになり、それでぼくの歌をかけてくださるそうです。

www.youtube.com

 

出演する友達柚木君は「LittleJapan」というゲストハウスを浅草橋で経営しています。

 

ぼくが、かつてモンゴルに行った時に神戸からの天津行のフェリーで知り合ってからの付き合いです。

 

彼は京都の大学に行っていたので、日本に帰ってからも日本二周の旅の最中にはよく京都で一緒に遊んだり、ストリートの歌を聴いてくれました。

 

柚木君はその後農水省に勤めた後、独立してゲストハウスを経営し始めたんですね。

 

すごいですよね。

 

そのゲストハウスのコンセプトが、ぼくの歌、「go as a friend」という歌だそうです。

 

「come as a guest,go as a friend」

 

(出会った時はゲストだけど、別れる時は友達でいよう)

 

ネパールでこの言葉を見つけて感動し、ぼくは歌にしました。

 

旅人ならだれでも響くものがあるのではないでしょうか。

 

ラジオは「旅」をテーマにした番組なので、それで柚木君がぼくの歌をリクエストしてくれるみたいです。

 

まだ放送日などは分かりませんが、楽しみにしています。

www.littlejapan.jp

 

日常だって旅にできる

旅は普通は外に出て行くものです。

 

でも家庭を持ち、働き始めるとなかなか旅に出られません。

 

数日の旅行には行けても、数か月にわたる旅に出るということが出来る人は少ないですよね。

 

でもぼくは、外に出て行かなくても旅ができるんじゃないかと思うんです。

 

ぼくは「旅=出会い」と考えます。

 

外に出なくても出会いを作り、日常で旅することはできます。

 

簡単に言えば、ルーティーンを破りながら生活するということです。

 

たとえ外に旅に出たとしても、地元の人と話すことなく、お店に行ってもお客と店員の関係で終わり、買い物だけして帰って来る。

 

そういうのはぼくにとっては旅ではありません。

 

外に行くこと自体に意味もありますし、おいしいものを食べる、いい買い物をすることがストレス発散になるということもあります。

 

それはそれでいいですが、ぼくの中ではそれは「旅」ではないなと思うんです。

 

レジャーですね。

 

ぼくが思う旅は、人生が変わるような経験です。

 

人生を変えてくれるのは何かしらの出会いです。

 

つまり、旅は出会いだと思うようなりました。

 

だからもし「旅=出会い」と言えるなら旅は日常でもできるんですよね。

 

ぼくの「go as a friend」という歌を聴いてくれた人がかつてこう言ってくれました。

 

「SEGEは日常を旅に変えてくれた」

 

ぼくは、「旅先での出会いって大事だなあ。」「ぼくら旅人はいろいろな人たちに受け入れられて旅ができているんだなあ。」

 

「旅先の小さなお店やレストランや、ゲストハウスでの一つ一つの出会いを大切にしよう。」

 

という思いで作った歌だったのですが、その言葉を聞いたのも「日常も旅になる」と思えるきっかけだったと思います。

 

そう思うと、日常でも新しい出会いを生むチャンスは山ほどあります。

 

お店の店員さんとの関わりとかに限らず、自分の凝り固まった生活を崩していくことはできるはずです。

 

新しく何かをはじめてみる。

 

いつもと違う道を通る。

 

時間が無いという人でも、気になっていた映画を1本でも観てみる。

 

本を読んでみる。

 

しばらく会ってない人と会ってみる。

 

誰かと会ってもあまり会話を広げられないなら、ちょっと会話を広げてみる努力をしてみる。

 

もう付き合いのある人でも、一歩踏み込んだ話をしてみる。

 

いろいろ出会いを生み出すことはできます。

 

ルーティーンに凝り固まると、人間はボケやすくなるのです。

 

だからこういうのは脳活にもなります。

 

あ、もちろんリアルに旅に出るのもいいですよね。

 

ぜひ、みなさんも日常を旅にしてみましょう。