今週のお題「ありがたやありがたや」
自分を救ってくれた言葉「君は腹をすえてない」
感謝していることは多々あれど、自分の人生において決定的な影響を与えてくれた言葉のうちの一つを紹介します。
今日の話は人生に迷っている若者がいたらぜひ読んでもらいたい!
大学3年のとき、大方の人たちは就職活動をする。ぼくも決めなければと思っていた。ぼくは自分が何をしたいのか、どんな仕事に自分を捧げればいいのか悩んでいた。
たいていはそんなに悩まないのかもしれない。でもぼくには企業に勤めていく人たちを見て、なんでみんな企業に勤めるのか不思議でならなかった。
そんなに企業に勤めるために生きているのか?それが最終結論なのか?やりたいことはそれだったのか?なんで同じ時期に同じようにみんな就職をするのか?ただ学校や社会のリズムがそうだからそれにのっかていて、それが常識だという人たちの同調圧力にのっているだけじゃないのか?道を外れるのが怖いのか?やりたいことがないというだけなのか?
20代の前半、ぼくも若いのだ。まわりへの文句もたらたらだ。若いからそれでいいと思う。でも、大事なのは自分がどうするかだ。それも痛いほどよくわかっていた。人に対して言っているようで、実は自分に対して言っているのだ。
ようするにぼくはすんなり就職活動するわけにはいかないような何かをかかえていて、今それが何なのかをつきとめる必要を感じていた。
ぼくは感じていた。20代前半で選んだ進路が、その後の人生に大きな影響を与えることを。いまここで決めなければ永遠に手にできない人生があるということを。
まず仕事に就くということは、自分のその後の人生を決めるということだ。だから、もしそれが自分のしたいことなら最高だし、そうでないなら最悪だ。
大人たちには言われた。「やりたいことはまず社会に出て、それからでも遅くはないだろう?」と。今でも断言できるが、それは絶対に違う。その時にしかできないことが絶対にある。
「その想いが本物なら、何年たったあとでも実現すればいいじゃないか。」とか。それも嘘。むしろそうやって若者の思いをねじふせていくことが若者を病ませていく。
ぼくの場合はしたくもない就職をさきにしてしまったら、心が壊れて狂っていたと思う。ぼくは弱い人間なのです。
ただ、ぼくは思う。やはりなんと言われようとも進む勇気を持つのは自分自身だと。あきらめがつくんならつけばいいし、自分の人生の責任を持つのは大人の責任ではなく、自己責任だと思う。
でもそこまで考えないで就職していく人たちがたくさんいる。なぜかというと、「なんであの時は分からなかったのか」とか「こんなつまらない仕事をずっと続けるしかないのか」と後悔している大人がたくさんいるからだ。
ぼくはすごくもったいないと思う。なんの疑問もなく企業に就職していく仲間たちに、よくそう思っていた。「何かやりたいことないの?」と。
でもそんなえらそうなことを思っていた自分に必ずはねかえってくるのは、「じゃあ、おまえはどうなんだ?」という言葉。自分自身のその言葉がナイフのようにいつも突き刺さっていた。
否が応でも時間は過ぎていく。就職活動の時期がせまってくる。
流されないのなら就職活動なんて無視すればいいだろうに。でも、それは自分を見つめなおす最高の機会だ。もし自分が何者なのか分かっているのなら改めてアクションする必要はないけど、ぼくは自分が何をしたいのかわかっていなかった。
「すんなり就職したくない」というのなら、それなりの理由がなければだれも、そもそも自分も納得しない。
だから必死で「自分がしたいこと」というのを考えた。
ぼくはとにかく自分でものづくりをするのが好きで、版画、木工、大工仕事、裁縫などもした。
だから何かを作る仕事という枠の中で考えていた。それで工芸の世界に行くために違う大学とかでもう一度学びなおす、広告系の会社に務める、というのがとりあえず浮かんだ選択肢だった。
大学は法学部だったから工芸なんて何で?という感じだ。でも、そもそも法学部に入ったらすぐに法律なんてしたくなくなった。
頭では弁護士になりたいとか言ってたけど、ぼくの体や心は、本当はそれを求めていなかったからだ。それは当時は分からなかったけど、今ならはっきりとわかる。
人間は頭で考えても正解は出てこないものだから。
親は心配していたし、批判された。よくわからないことを言い出す息子を見ていて、不安でいっぱいだったと思う。
それで、ぼくなりの就職活動をしようと思い、高校時代の美術の先生に会いに行こうと思った。
(こういうときは厳しく正しいことを言ってくれそうな人に会いに行くべきだ。)
ぼくは曲がりなりにもそう思って、高校時代もっとも怖そうだった、でもろくに会話もしたことのない美術のO先生に会いに行った。ひげもじゃの、宮崎駿をさらに厳格にしたような先生だ。
ちょうど先生は教室で作業をしていて、アポイントなしに突然訪れたぼくを手伝わせながら、ぼくの話を聞いてくれた。
「広告系に行きたい・・・工芸もしたい・・・」
そんなことを一通り話すと先生は、
「広告系のところへ行けばそっちよりの話になる。おれのところに来ればこっちよりの話になる。君がここに来たということは、そういう意味だ。」
「ドイツの学生は、もしこうだったらとか悩んでいる時間はない。そんなことを言っている間に自分の椅子はとられてしまう。」
「要するに、君は腹をすえてないということだ。」
ズシーンと、心が奈落の底に落ちた。
(その通りだ。おれはまさに腹をすえてない。じたばたして決断することから逃げているだけだ。人に答えを委ねようとしているだけだ。自分のことは自分で決めなくちゃいけないんだ。)
話を終えて、ぼくはまだつぼみの桜並木の下を一人歩いて帰っていた。
(おれは、いったい何をしたいんだろう。腹をすえるとしたら、何をしたいんだろう。逆に、おれは、何ができなかったら、何を奪われたら一番嫌なんだろう。)
(ものづくりは得意だし確かに好きだけど、それができなくてもそれほど苦しくない。広告系は頭で導いた選択肢であって、別に行けなくっても何ともない。)
(おれが一番奪われたくないもの。それは・・・歌だ。)
歌だけは奪われたくない。それを今奪われて生きるんだったら、死んだほうがましだ。
歌をやるしかない!!
ぼくには本当は分かっていた。自分の歌を歌いたいということと、それから逃げているということを。
それはぼくにとって最も勇気のいる選択肢だったからだ。そもそもそれまで自分の歌さえまともに作ったことはなかったし、誰かに発表したこともない。
音楽はやっていたが、何の実績もない。なんの経歴もない。まさか自分がそういった道を歩めるとは思ってもない。
ぼくの中では「道を選ぶ」ということは、それで「飯を食う」ということだと思っていたし、時代的にもまだまだ何かに一本道で専念するということが美学だったり男らしさだったりというとき。
裏を返すとぼくの中では音楽を選ぶということは、それくらい中途半端にできない、なみなみならない思い、ひそかな情熱を持っていたということだ。
もっと軽いものであればそんなに悩まないでいいのに、恐れないでいいのに、奪われたら死んでもいいくらい大切なものだということに、その時初めて気づいたのだ。
「腹をすえてない」という言葉によって。
そしてぼくはまだ作ってもない歌の道を進みたいと父親に告白した。それはそれはおそろしかった。もちろん賛成されなかった。それでもどうか歌の道へ進ませてくれとお願いした。
そうしないとぼくはぼくでなくなってしまうから。人間でなくなってしまうから。人間として成長させてくれ、と。
それはもう20年も前のことだけど、その時の決心で泣きながら作った歌があり、今でもそれを歌っている。
ぼくはメジャーになることはなかったし、音楽とは違う世界でいま仕事をしている。音楽が嫌になって離れた時期もあったけど、今は本当に大切な自分の一部として歌い続けている。
あの時心に従って決心したことでぼくはアジア放浪歌うたいの旅に出、そのあと日本二周ヒッチハイクの旅に出た。そして少なからずの人たちの心に届かせていただき、今でも歌うことができるし、逆に歌がなければ本当に平凡な人だと思う。
歌に救われてぼくの世界は物理的にも精神的にも広がった。今でもその恩恵をたくさんいただいている。
それもこれも「君は腹をすえてない」からはじまったのです。
あの言葉をいただかなかったら、ぼくは本当の自分の心に気づかず、今でも生きているかもしれないし、「あのときあーすればよかった」と本当に不幸な生き方をしているかもしれない。
もっと言えば、自己嫌悪の闇から抜け出せず、人を傷つけたり、命を絶っているかもしれない。
もしも若い方がこれを読んでくれたなら、自分の心の声に耳をすませてほしいし、自分は何がしたいのか、何を奪われたくないのか、心に聞いてほしい。
そしてその道に進んだとしても、途中で道が変わることだってぼくはかまわないと思う。
まずは自分の心を満たすことからはじめよう。一つ満たされたら、見える世界が変わるのが当然なんだから、そこからまた違う道を歩むことは全くおかしくない。
勇気が人生を進めてくれる。O先生ありがとうございます。
おしまい
written by SEGE