人を満たすには、まず自分を満たす
子供たちへの支援をしたいと思っています。
その理由は大きく分けて2つ。
1つめは、自分の仕事や家庭生活が安定してきたことで、それ以上仕事や家庭生活のみをビルドアップすることに意味を感じなくなった。
2つめは、現状をキープし、仕事をしているだけで社会にいる子供たちへのサポートがし尽せているのかという自分自身への疑問。
今ぼくは42歳ですが、40になるにあたって壁にぶちあたり、40からまた新しい生き方をしようと思ったわけです。
こどもは2人恵まれ、中古ですが持ち家を手に入れ、仕事は中堅もしくはベテランになって信頼をおかれるようになりました。順風満帆?
いや、2人めの子供は734gで生まれ、妻子ともに生死の境を越えたのですが、妻子ともに命はとりとめ、娘は奇跡的に順調に育っています。
仕事だって今の状態になるまでには大変でした。
いろいろ乗り越えて落ち着いた現在にいたるのですが、ある時、
「おれってこの先存在する意義ある?もうかなえたいこと色々かなえたし、おれいなくても普段から子育て、子供の相手、家事、もろもろやってくれてるし、いや、むしろ何か口はさむともめるからまかせっきりだし、おれ死んでしまっても家のローンはそこで消えるし、もうおれいらないじゃん。」
なんてことを思ったことがあるんですよ。ないですか?40過ぎの方。
まあ、なんて卑屈な男って感じですが、30代後半になって虚無感が襲ってきたわけです。
そして、
「おれは本当は何をしたいんだ?何をするために生まれてきたんだっけ?」
と考えました。
ぼくは、小さいころから臆病者なので、その臆病を乗り越えたいとずっと思って生きてきました。
日本二周という放浪の旅もしましたが、歌もやってますが、それは得意だからしているわけでなく、得意じゃないけどそれを理由にしてやめるなんてことしたくないから、がんばっているわけです。
「強くなりたい!それなら生き方で示すしかない!」
そう思い詰めて、20代を過ごしました。
それは裏返すと、
「こんなぼくでもできるんだ。」
ということを示すということです。
ぼくは常々思っていますが、できる人ができることをやって何が希望なんでしょうか。
鳥が空を飛んで、何が珍しいんでしょうか。
できない人ができるようになる。やればできる。それが希望なんじゃないかと。
ただこれには危険もともないます。
「おれもやってるんだからお前もやれよ」
と押しつけがましい主張に陥りやすいからです。自己肯定感が低い場合、特にそうなります。
自己肯定感が低い人は、自分を受け止めることが大変で、心に余裕がなく、他者批判に逃げてしまうからです。
もれなくぼくもそうでした。だから、
「おれもやってるんだから、おれでもできたんだからお前もやれよ」
そんな風にまわりを見ていて、そのくせ実は内心臆病でびびっている、自分がきらいでしかたのないやつ。
そいういう手の焼ける若者でした。
日本二周という旅は、まさにその辺りの葛藤の最中のことでした。投稿はまだ始まったばかりですが、ぜひそちらの小説も読んでみてください。
夢をかなえたら本当の夢をかなえよう~日本二周ヒッチハイクの歌旅
https://note.com/segesegesege/n/n015f3e5a5e16
当然大きな挫折に何度か出会い、そしてぼくはようやく本当の愛に出会います。どうしてそこに行きついたか。それはまた別の機会にします。
とにかく、自分のことを本当に許し、愛することができたのです。小説のタイトルが「夢をかなえたら本当の夢をかなえよう」となっているのは、そういうことです。
本当の夢というのは、何かを得たり達成したりすることではなく、まず自分を愛することだと。
そして人は初めて誰かのことを自分のように大切に思えるようになると。
これは人類のとても大切な原則です。
「まずは自分が満たされなければ、人を満たすことはできない」
そして家庭も満たされ、仕事も満たされ、それ以上そこにとどまることは自分にとっては、自分が自分の囲いだけ楽園にして笑っているような奴に思えたわけです。
「おれは何をするために生まれてきたのか」
その問いにまた戻ります。ぼくは10代の時、学校教育に非常に疑問を持ちました。
人生というものは学校よりも広いのに、なんで学校に人生が強制されるのかと。
そして何でみんな疑問も抱かずに同じような進路をたどるのかと。
なぜ同じ学年になると同じように進路を考えはじめたり、就職活動をしはじめたりするのかと。
そう思ったことはないですか?
ぼくはそれを壊したかったし、抗いたかったし、結局そこに飼いならされている自分をぶっこわしたかった。
臆病ですから大学卒業時まで結局口先だけのやつでした。
そして進学校を出て、六大学を出て、法学部を出て、結局ぼくは歌を始めました。
その上、アジア放浪の旅と日本二周の旅をし、そこだけ見ると破天荒な20代だったわけです。
そして、「おれは何をするために生まれてきたのか」という問いを40歳で自分にぶつけてみたとき、出てきた答えは、やはり「こんな自分でもできるんだからきみにもできるよ」ということ、「こんな人生もありなんだ、人生ってもっと自由なんだ」ということ、「きみはこの世でたった一人なんだ」ということ。
最後に40歳として言えることは「きみはあいされているんだよ」ということ、それを伝えることだなと思いました。
そしてぼくは仕事以外にももっと困っている子供たち、自分のように悩んだ若者の中に入っていきたいと思いました。
ただ、仕事はかなり忙しく、しかも音楽活動も時々しているので、それ以外の時間を作るのが結構大変です。
自分の子供の相手をする時間だってなくしたくありません。
どうしたらいいか。
まずは何か単発でやってみようということで、念願のボランティアに踏み出すことができ、豪雨被害のどろかきをしたり、南相馬に足を運んだりしました。
不思議なもので動きだしたり、心の中で願いを持ち続けると、自然と宇宙が味方してくれるものです。
家にいられない子供たちの居場所を作っている方と知り合うことができたり、「家族は血縁に限らない」と感じ、居場所のない子供たちを受け入れる場を作ろうという方に協力の声をかけてもらったりしました。
しかし、コロナです。
来てしまいました。外との関係をリアルに持てなくなってしまいました。
ところが、そうした集まりが一切ない状態で去年過ごしていると、ある日の新聞に「プロボノ」という活動がのっていたのです。
プロボノはコロナで急増する苦しんでいる子供たちの声をオンライン上で聴くという活動をしているというのです。
家にいながら、自分のできる時間にできるそうなので、これはいいなと思い、情報をとっていましたが、人気というか需要が急増しているようで、説明会になかなかあきがない。
そしてようやくこの4月に説明会の予約がとれました。
プロボノにかぎりませんが、オンラインを通じて何か社会に役立っていくきっかけになればと思っています。
おしまい