花粉症がなぜ自分の気で治せたのか
今日の記事は、「気」を使って治すというものです。
でも、これが世間で言う「気」なのかは分かりません。もしかしたら、自律神経をコントロールすること、と言い換えてもいいかもしれません。
この際何が「気」なのかはどうでもいいことです。(仮に「気」ということで進めますが。)
ここでは、実際に症状が治まったという事実と、その原理を紹介します。ただぼくなりに、これは大きな発見だと思っていますし、応用が利くと感じています。
この方法は、薬も何も使わず、ただ「気」をこめるだけで症状をその場でとめることができます。
「気」に興味のない方、信じられない方はスキップしてください。
逆に、気でも何でもいい。それに大げさなことするのめんどくさいという方にもおすすめです。
ぼく自身、「気」の効果を初めて感じることができ、実際に症状がおさまったので、すごいウハウハです。
対象:自分の花粉症
症状:5月になると目のかゆみ、充血、くしゃみが出る
成り行きと見立て:
花粉症になってからもう数年がたちます。5年目くらいでしょうか。
スギ花粉とは違い、5月なのではじめは分かりませんでした。
目の充血がひどくなり眼科に行ったら、「花粉症ですね」「時期的に(アレルゲンは)イネ科ですね」と言われました。
正直「花粉症にはならない!」と決め込んでいたのでショックでしたが、かかったらかかったで、「絶対治せる」と いろいろ調べたり試したりしていましたがなかなか効果はありませんでした。
ではやってみましょう
誰でも気を使えるのか。そんなことは分かりません。
ぼくも今だからできたのかもしれないし、去年だったらできなかったかもしれません。
コツがありますので、もしこれでできなかったらまた違う機会に挑戦してみてください。
一言で言えば、「症状のあるところを『かまう』」です
・目がかゆくなってきら、かゆいところに意識を集めます
・その部分を「かまってあげます」
・こつは、意識がその部分と一つになるということです。治そうとか、余計なことは考えません。外から何かしようという意識ではなく、その部分になりきる、一体化するという意識です。
成功するとかゆみがとまります。
目は少し赤くなっても、それ以上充血が進行しません。
ただこれだけです。もちろんくしゃみも治まります。
また、花粉症のかゆみだけでなく、いろいろなかゆみがこれで治まります。
発端は瞑想
どういう原理なのでしょうか。
瞑想はけっこう流行っていますが、ぼくとしてはそれは流行りすぎていて、もはや本質がよく分からないと思っていました。
なのでもっと踏み込んで「悟り」とは何かを学ぼうと思いました。並行して仏教も勉強しました。
この本には、過去の「悟り体験」の記録が集められ、検証されています。
そして悟りとは簡潔に言えば、自分と宇宙が一つであるという体験です。自他の境がなく、自分が愛に包まれている存在であると実感する体験です。
実感というのは頭で理解するということではなく、本当にそうだと体で感じ、自分の心の奥深くから、心全てが、真理を理解したということです。
この「一つになる」ということが、この世界のあらゆることを解決する一つの鍵です。
一つになると物事は解決していきます。
人に共感すると心が癒されます。相手の気持ちをりかいできれば、関係が修復されます。
悟りを開いた人は病が治ります。近代に日本にヨガを持ち込んだ第一人者中村天風は不治の病をヨガ、つまり瞑想で病を治し、日本にヨガを持ち帰りました。
腹式呼吸や瞑想(禅)を庶民に普及させた臨済宗の白隠禅師も、不治の病を悟りの境地に至ることで治し、病を治す方法を広めました。
ちなみに禅の源流はヨガや瞑想です。瞑想はヨガの一形態です。
瞑想や禅の到達点に悟りはあります。悟りの境地に至ることは、病を治すことでもあります。
悟りの境地の反対の状況とは分裂や無関心
悟りは一つになることなので、その反対は分裂や無関心です。
例えば共感の反対は反感ですね。相手を思うことの反対は自分勝手、無関心です。
精神病に分裂病というものがありますね。精神が統一していない、安定していないということです。
瞑想や座禅をするときや、何か難しい技をするときなど、「精神統一!」ということがあると思いますが、ようするに心を一つにするということは、人としてあるべき状態になる、活性化する、体の力を全て協力させてすごい力をだすということです。
さらに話を広げていくと、頭が忙しい人は体をおろそかにしています。左脳ばかり使っている人は、右脳がおろそかにになります。
そういう生き方をしていると、体がダメになっていきます。バランスが悪くなり、病気になります。
瞑想や座禅をするということは、頭で考えすぎる生き方、つまり左脳の使い過ぎをストップして体と右脳と統一していくことです。
瞑想や座禅の最終的な到達点が悟りの境地ですが、そこに至る道はまず自分との統一、そして世界との統一の道のりです。
かゆみが出るところは代謝が落ちている
「かゆいな」
と思ってかいたら、垢がぽろぽろということはないですか。
つまり、かゆいところは皮膚の代謝が落ちているということです。
これがどういうことかわかる人は、「気」とどういう関係があるのかわかる人は、するどいです。
ぼくはもともとアトピー持ちです。現在は時々部分的に出る程度です。
また、仕事を終え、家にかえるといろいろなところがチクチクかゆくなるということがあります。
でもそれはアトピーというよりチックに近い感じです。緊張がゆるんだときに出るので。
腕やら、顔やらいろいろなところをさわらないと気が済まないような感じになることがあります。
それであるところをかくとポロポロ垢が出ます。いや、それだけなら何とも思わないというか、「ちゃんと体洗わなきゃな」くらいなんですが、そうじゃないんです。
これがお風呂に入っている時に起きます。
「え?!今洗ったのに?」
つまりほかの体の部分からは垢は出ないのに、特定の部分からは出るんです。
かゆいところから。
「かゆみが出るところは垢がたまりやすくなっているということだ。」
とわかりました。
つまり皮膚の代謝が落ちているということです。
もっと言えば、そこの皮膚は感覚が鈍り、活性化していないということです。
アトピーへの応用
ぼくは「悟り」の勉強を生かし、またかゆみが出るところは代謝が落ちているのではないかという仮説に基づいて、この考えをアトピーに応用してみようと思いました。
この前の冬は足全体にアトピーが広がってしまっていました。
毎年できますが、今回は特にひどかったです。
ぼくの見立ては「もしかして忙しすぎて頭でっかちになっていて、下半身のことをまったく意識に置いていないのではないか?」ということでした。
余談ですが、腹式呼吸の一つの効果は、意識を頭から大事な内臓のある下腹部や足に移動することにあります。当然血流も下半身に移動します。
そうすると健康になっていきますし、非論理的・右脳的になっていきます。
仕事で忙しいときは頭が忙しく左脳優位になります。上半身が緊張しています。
「だから下半身の代謝が落ちているのではないか。それで足にアトピーが集中して出ているのではないか」と考えたわけです。
そう思い立った日から毎日家から帰ると瞑想5分をするときに意識を足に持っていくということと、湯船に入りながら足に意識を持っていくということをしてみました。
やりはじめて数日でアトピーは引いていきました。
ただし、その時はワセリンも塗るようにしていったので、「ただの乾燥でアトピーだったことも否定できないのでは?」という疑念もぬぐえなかったのです。
花粉症への応用
そしていよいよ5月になりました。
そもそも花粉症の症状が出ないのにこしたことはありませんが、その願いはかなわず、毎年のように、今年も目がかゆくなりはじめました。
「アトピーへの効果が本当なら、花粉症にも効くかもしれない!」
そう思って、かゆみが出る部分にすかさず意識を持っていきました。
すると、かゆみがとまる!!
やっぱり間違っていなかったみたい。
気を患部に持っていくと、治る。気を持っていくというのは、そのものになるということです。そのものと一つになるということです。
つまり、対象を「かまう」という感覚です。
これをぼくは花粉症だけでなく、かゆみが出る場所にその都度やってみました。
かゆみが消えます。
かゆみは「かまって」のサイン
そこでぼくは思いました。
「かゆい」という体の反応は、体からの「かまって」のサインなのではないかと。
「痛い」は「動かさないで」とか、「体のどこかがすごく悪いの」というサインです。
それに対して「かゆい」は「かまって」だと直感で思いました。
かゆい部分てあなたが無関心になっている部分ではないですか?またはあなたの意識がそこまで追いついてない部分です。
その部分に関心をもってあげるとかゆみはひいていきます。
仕事から家に帰るとかゆみがあちこち出てくるのは、仕事中はぼくは気を外にはりだしているので、体に無頓着なっているんです。
だから体側からすると無視されて体の感覚が鈍ります。緊張がほぐれると「かゆい」というかまってサインを出してきます。
実は体が不調な場所は、その部分の皮膚の感覚が鈍いか、じんじんと鋭いかどちらかに偏っています。
こり、かゆみ、くすぐったいところ、それはすべて皮膚が「鈍く」なっています。
ためしにつまようじでつんつんしてみてください。あまり感じないところがあるはずです。
それを活性化すると体の不調は好転していきます。つまり、これを意識だけで活性化させるのが「気」の力です。
では「かく」という行為はどうなのか。
これは外からのアプローチであり、かく方とかかれる方が分かれています。だからよくなりません。
そうではなく、内側からそのかゆい部分になってあげるということが大切です。
また、「かゆいところに意識をもっていっても治まらない!」という場合もあると思います。
でもその「意識をもっていく」は、そとから感じようとしていませんか?
そうではなく、あなたの気持ち自体をその部分になりきらせてください。かまってあげてください。
それ以外の部分にあなたの意識はないような状態です。
意識を患部に集中することができると、患部は心身が統一されて正常に働きだします。
年をとってからの花粉症の発症は気の衰退の可能性
さて、ある日突然花粉症になるということはけっこう多いです。
ぼくもそうでした。
なぜなのか。今回、「気」で症状を治めたことから考えられるのは、若いときは体中に気が充満しているため、花粉に自動的に対処しているのではないかということです。
年齢とともに体の気が衰えていくことで、自律神経を働かせる力やバランスが崩れ、花粉症を発症してしまうのではないでしょうか。
でも、部分的に気をそこに充当すれば、症状は治まるということです。
そう考えるとつじつまがあいます。
なのでぼくは「気」を高めていく工夫をしようと思っています。
体のいろいろな部分をかまってみてください。例えば背骨とか、骨盤とか。意識した瞬間に余計な力が抜けて、姿勢も正しくなってくるはずです。
二日酔いのときは肝臓になりきってください。
いろいろやってみると面白いですよ。
まとめです。
かゆみは体からの「かまって」のサインであり、症状のあるところを「かまう」ことでかゆみは治まる。
おしまい
☆このブログ「自分でなおす」は、あくまでも素人の投稿ですので、正しいなおし方かどうかの保証はありません。おっさんがんばってるなあ、それはちがうだろとか思っていただけたら満足です。みなさんのお役に立てる情報になれば、なおうれしいです。
プロの方からのクレームはお控えください。反対に耳寄りな情報、解決法を教えていただけたら大変ありがたいです。読者の方々にとってとても有意義なものになると思うので、ぜひ教えてください。
ご拝読ありがとうございました。