今週のお題「お弁当っていいよね」
お弁当からもらうのは、栄養だけじゃない
『今日も嫌がらせ弁当』という映画を知ってますか?
この映画のロケ地が我が家の近くだったのと、うちの子供たちの通う幼稚園も使われていたので去年見てみたんですよ。
だからなのかいまだに娘はちょいちょい録画をみています。息子も「面白かったよね」と今横で言っています。
反抗期の娘に、母役の篠原涼子さんが毎日嫌がらせのデコレーションをしたお弁当を作るという映画です。
母の愛が伝わってくる映画です。
苦い思い出
ぼくは12年間母にお弁当を作ってもらっていました。私学に通っていたので給食だったことが一度もないのです。
なので母は毎日お弁当を作るためにぼくよりも少し早く起きていました。
大変だったと思います。
あれはいつだったか、とても苦い思い出があります。
社会人になってから同棲するまでの最初の1,2年はぼくが家を出てしまうと母が一人になってしまうので、実家で過ごしていました。
母は何年ぶりかにぼくにお弁当を作ってくれることになりました。
当時のぼくは慣れない仕事に悪戦苦闘し、へとへとの毎日でした。お弁当を食べられないで帰ってくるということも時々あったくらいです。
そんなお弁当を食べられなかったある日、ぼくはすごくイライラしていて帰るなりそのお弁当の中身をシンクにドシャッとひっくり返してしまったのです。
それを見た母が、
「なんでそんなことするの!」
と悲しい怒りの声で、今にも涙が出そうな声で叫んだのです。
「食べられなかったんだよ!」
こともあろうにぼくはそう答えてしまったんです。
(おれだっていっぱいいっぱいなんだよ。わかってくれよ。)
そういうぼくの甘えでした。
あとで考えてみると、母がどんな気持ちでお弁当を作ってくれているのかということが分かってきました。
それをぼくはごみのように捨てたのです。
母の愛情を。
いくらぼくが仕事で大変だったとしても、それはしてはいけないことでした。
大変なら大変で、
「今日大変だったよ。食べられなかった。ごめん。」
そう言えばよかったのです。
人間はそもそも食事を分け合うことで生き残った
食事というのは、「栄養を摂取する」という「作業」ではありません。
人類がなぜ人類として生き残ることができたか、実はこんな研究があります。
ヒトの祖先は獲物をとってくるとほかの類人猿と違い、食べ物を平等に分け与えたそうです。
ほかの類人猿でも獲物を捕ってきた者が分け与える種はいるのですが、そういった種は与える側ともらう側は主従の関係になります。要するに与えた方が偉いということです。
だから獲物を捕ってきた物は自分の好きな部分を残して食べます。
でもヒトの祖先は与える側がえらくなるということはなく、それが当たり前であり、気前よくシェアするのです。
自分のものをとっておくのではなく、捕ってきた食事を狩りに行ってない者や弱い者にまで平等に分けて助け合うことで集団全体を維持していくことができたために、ヒトは生き残ることができました。
食事によって助け合う、独り占めせずに分け合う。それはまさに愛の一面ですね。
つまり人間が人間であるということの原点は、愛(助け合い)なのです。
これらのヒトの特性は、山極寿一さんの「暴力はどこからきたか」という本を参考に書いています。
山際さんはぼくは本を先に知っていたのですが、知り合いの息子さんの仲人であり教授であるという、わりと近い縁のかたでした。(余談です)
ともに食事をすることに意味がある
険悪な夫婦関係、冷え切った夫婦関係、家庭に居場所がない子供たち。そうした人たちに共通して見えてくるのが、実は食事の問題です。
夫婦関係や親子関係がよい家庭は、一緒に食事をする日が週に4回以上あると言われています。
たとえ食事を用意したとしても、一緒に食べる機会がなければ人間関係にひびが入りやすいということです。
食事というものはやはり栄養以上のものをいただく場面なのです。
一緒に食べることができないお弁当は、せめても気持ちを込めたいという愛のお手紙と同じです。
ともに食事をすることに意味がある
「お弁当は手作りがいい」
現実的にそれをいつも100%実現できるかというと、とてもむずかしいと思います。
特に私立学校などで毎日作らなくてはならない場合は、本当に大変な家事になります。
近年は両親ともに共働きということが増えており、お弁当を作る時間と余裕、一緒に食事をする時間と余裕が少なくなっています。
その中で、十分なお弁当を作ったり、食事の時間がとれなかったりすることはやむをえないとも思います。
ただし、何度も言うようですが、食事は栄養をとるだけのものではありません。
あるテレビの特集でありましたが、サプリメントを口に流し込み、いかに時間をかけずに一人で本を読みながら効率よく食事をすませるかということを実践している大学教授がいました。
それはまちがっていると思います。
でも作り手も無理をしてしまっては自分を責めて追い詰める要因になってしまいます。
ただ、もしも原点を見失っていたら「食事は愛を分かち合うもの」ということを思い出してほしいと思います。
もしお金を渡して買ってもらうだけだったら、せめても買ったお弁当を渡してあげられないか。
お弁当を買い与えるよりかは、冷凍食品でいいから詰め合わせてあげられないか。
冷凍食品ばかりになっているなら、少しでも手作りの部分を増やせないか。
ただ手作りを義務感でやっているんだったら、もっと進んで喜びをもって作ってあげられないか。
そんな風に自分にできることを考えてほしいと思います。
またはお弁当は作れなくても、食事を一緒に会話をしながらする時間を増やすというのもいいですよね。
『今日も嫌がらせ弁当』では、篠原涼子さんが反抗期の娘に負けずにハイクオリティなデコレーションのお弁当を毎日作っていました。
そこまではできないとしても、お弁当のよさがとても伝わってくる映画でした。
お弁当を作っている方はお弁当づくりのよさを、お弁当をいただいている人はお弁当にこめられている気持ちを大切にしてくださいね。
written by SEGE