自分でなおす!物も体も心も!

素人が何でも自分で直す・治す記録。日常で壊れる物、痛む体、悪い癖、物も体も心もなおす小ネタから専門的なことまで。直らない時もあるけど。それも含めてぜひご自分の生活に活かしてください。written by SEGE

野生になって食べる【もしも自分がライオンなら】

今週のお題「おいしくもりもり」

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野生になって食べる【もしも自分がライオンなら】

特に食事のお供なんてないですね。旅先の国々で出てきたもの・・・それもかぎりがあるし、あんまり真新しくないかも。

 

じゃあ、ちょっと変化球で食のお供にする「心持ち」にしよう。

 

その心持ちとは、「野生になって食べる」ということです。

 

みなさん自分が動物だと思って食べ物を食べたことはありますか?もし自分が肉を食らうライオンだったら、どんな心持ちというか、感覚で食べているんでしょうか?

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さて、我が家で育てたミニトマトが今年100個採れました。おいしいです!でも、市販のものに比べるとワイルドな味。決して甘くてジューシーという感じではないです。

 

しばらくは何週間も自家製ミニトマトを食べていました。

 

おととい、食卓に真っ赤なミニトマトが。

 

私「おお、赤いね。うちのじゃないよね?」

妻「なんか買ってきたのって赤さが不自然だなあ、と思うんだよね。」

私「確かに、めっちゃ赤いね。」

妻「うちのと比べて考えるとなんかねえ、と思う。」

私「人工的だってことだよね。」

 

そうするとなんだか市販のミニトマトがあまりおいしく感じなくなってくるのです。甘いし、「味はいい」んだけど、なんだかおいしくない。

 

そういう感覚ってないですか?そういう微妙な感覚が分かってくると、「本当においしいもの」が何なのか、味覚が変わってきます。

【もしも自分がライオンならどんな気持ちで食べるのか】

ぼくは「自分がライオンなら」という感じで食べるようにしています。

 

本来肉にありついたら、どう食べるか。まずハンバーグのような状態の肉なんて自然界にありえないですよね。かぶりついたらひき肉だったなんて、むしろものたりないんじゃないですか?

 

無心になって、ひたすら肉に食らいつく。口よりでかい肉を引きちぎり、何度も噛んで、これこそ生きている価値だ、生きるエネルギーが湧き上がる、と。もちろん何にも考えてないしょうけど。

 

その瞬間動物は幸せいっぱいだと思います。

 

動物園の動物には、やはり本物の動物の肉を加工しないで与えているはずです。それはそうじゃないと本来の健康を保てないからですよね。

 

ただそれでも自分で獲物をとるときと、簡単に与えられるときとでは違いがあるとも思います。

 

ぼくは、本来の肉を食らうときと、ハンバーグのような加工した状態の肉とでは、絶対体内の分泌液とか、体の反応が違うと思います。そもそも筋肉の負荷も違いますよね。

 

だから食べやすい肉というのは、おいしいかもしれないですけど、健康的ではないですよね。あごの筋肉の問題だけでなく、栄養の吸収率や吸収する栄養素の割合とか、科学的にも証明しにくいいろいろなことにも影響するんだと思っています。

 

何年か前にNHKイヌイットの生活を特集していました。そこでは小さな女の子が、地中に埋めて発酵させた鳥をまるごと、口の周りに血のようなものをくっつけながらかぶりついていました。うまそうに。

 

その鳥さえ、岩陰にかくれて長い竿付きあみで捕らえてました。

 

それが本来のぼくたちの食の在り方ですよね。もちろん、加工することで保存できたり、栄養素をうまく取り込めるようになったり、必然性があって調理されるようになったわけです。

 

でも、それによって「命をいただく」というよりも、「味を楽しむ」方向に人類の食は変わってきました。

 

それによって、食で得る生命力は弱まっていると思います。イヌイットの少女はきっと我々が食べるときに比べて、たくさんの生命力を得ていると思います。

 

極端な例ですが、以前テレビでサプリメントの錠剤だけで食事をしている人が特集されていたのを見たことがあります。今の話で言うと全く正反対ですよね。食から得るものは「決して栄養素だけではない」とぼくは思っています。

 

なので、まず自分が野生の動物だと思って食べてみる。ぼくは「自分がライオンになる」と思うと、スイッチが入りやすいです。

 

そうやって自分の生命力をアップできるんじゃないでしょうか。

【味覚が変わってくる】

そうして野生になりきって食事をしていると、今度は食べ物の味の感じ方が変わってきます。

 

たとえハンバーグでも、そのやわらかさに甘えずに、「本当は牛の肉だ」と牛をイメージして、獲物にありついた動物になりきって食べるように意識しています。

 

そうすると、とっても上手においしく調理されている料理が、時には「え?おいしくない。」と思えるときがあるんですよ。(作り物だな。)と。

 

さっきのミニトマトの例と同じです。おいしいんだけど、うまくない。うまいんだけど、パワーがない。そう、パワー(生命力)レベルでおいしさを感じるようになってきます。

 

その感覚を応用していくと食材選びの時にスーパーで「これパワフルでうまそう!」と選びやすくなってきます。

 

ぼくはマックはビッグマックと決まってますが、大好きですが、正直生命力は全く感じないです。うまいですが、レタスなんて死んでますよね。パワーゼロです。玉ねぎも。パンも肉も。

 

だから味のうまさと食べ物から得るパワーというのは、レベルが全然違うんです。その感覚が「野生になる」ことで豊かになってきます。

 

【ながらをやめて食べることに集中する】

ぼくは完全なる「ながら族」です。なんでも何かしながら他のことをしがちです。

 

テレビ見ながら仕事する。子どもの遊び見ながらスマホ見る。本読みながらマッサージする。仕事しながらブログも音楽もする。風呂に入りながら目の体操や歯磨きする。自転車乗りながらお尻をすぼめる体操する。

 

でも、ある研修で「食は栄養だけを与えているのではない。愛情を与えている。」ということを教えていただき、それからは食事中はスマホを見ないということにしています。一人の時も時々やりますが、家族と食べるときはそうしてます。

 

さっきのサプリメントの錠剤だけで生活している人の特集は、その研修で見たテレビの録画でした。その方はサプリメントを飲み込みながら本を読んでいて、「時間がもったいない。効率的。」ということを語っていました。

 

そこに「人と人とが関わる場である食」の価値などありません。また、「食べ物を食べる」ことの価値もありません。人間は栄養素でできているという考え方なんでしょう。

 

でも人間は栄養素だけでできているのではありません。食べ物自体をどう食べるか、だれと食べるか、だれとどう食べるか、ということも健全に生きていく上でとても大切なことです。

 

もっと言えば家族で一緒に食事をすることは、子どもや夫婦関係にとってとっても大切なことでもあります。 

 

すこし脱線してきましたが、「ながら」をやめることで食べ物自体に集中して食べることができます。何か別のことに気を取られていると「野生になる」なんてことはできません。

 

それに、「食べ物の味の微妙な違い」にも気づけません。

 

これは食に限ったことではなくって、「そのときに1つのことだけをする」ことの方がその時間が充実したものになるはずです。

 

これはぼく自身、自分のよくないことだなと思っているんですが、ついつい効率的にしようと思ってなんでもながらでやってしまう癖があります。

 

今もテレビ見ながらキーボード打って、子供の話に相槌を打ってます。 

 

もちろんそうした方がいいこともありますが、少し自分を振り返って、「ここは1つのことに集中しよう」と意識していくことは大切だと思っています。

 

まずは食からやってみてはいかがでしょう。

 

ぜひライオンになって、おいしくもりもり食べてみてください。

  

まとめです。

 ①ライオンになって食べる ②食べ物の生命力を感じる ③「ながら」をやめて食事に集中する

 おしまい

 

ご拝読ありがとうございました。written by SEGE

 

 

 

おしまい

 

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