昔犬を2匹飼ったので自分の子供にも飼わせてあげたい
「犬と猫、どっち派?」
と言われればだんぜん犬派です。
小さいころ犬を飼っていたのが多分大きな理由だと思いますが、親もおそらく犬好きだったからこそ犬を飼えていただろうし、だから親譲りでそもそも飼う前から犬好きだったと思います。
1匹目の犬は雑種のサブ
うちは計2匹の犬を飼っていましたが、1匹目は雑種。
サラリーマンをしていた父がある日、
「なんかついて来ちゃった。」
と言って夜帰宅してきたその後ろにかわいい子犬が。
その光景は今でも覚えています。
ぼくは幼稚園くらいだったかなあ。
後で考えてみるとあれはついてきたのではなく、もしかしたら捨て犬を親父が連れて来たのかもしれません。
当時はまだ野犬も多かったし、人に管理されていない犬が道端にいることは珍しくなかったと思います。
人の管理のないところでできた犬だったのかなあ。
ぼくら兄弟はめちゃくちゃ喜びましたね。
3兄弟なので親としてはペットができることはけっこう負担だったでしょうが、子どもを喜ばせたいという気持ちが強かったのかもしれません。
名前は「サブ」です。
ぼくら兄弟は姉と兄とぼくなので、3人目の男という意味で「三郎」から「サブ」になりました。
サブはとてもなついていて、すごくかわいかったですね。
当時は普通でしたが、外で飼うことにして庭にサブのスペースをコンクリートで作ってあげて、そこに犬小屋を置いて、檻のように金網を四方に張って自由に動けるようにしてあげました。
でも脱走癖があったので、途中から鎖をつけるようにしましたね。
散歩のときは一目散に出て行こうとするので、散歩用のリードにつなぎ直すときに逃げないようにするのが結構大変でした。
犬ってなんであんなに必死に先に行こうとするんでしょうね。
首輪をしているので、先に行こうとすると首がしまるんですよ。
それでも行こうとするんだからすごいです。
サブははじめは隣の家の人に嫌がられていたんですが、ある時となりの家に泥棒が来たらしく、それを吠えて撃退したんですよね。
そしたらお隣さんに感謝されてそれきり全く文句を言われなくなりました。
何年かそれなりに生きて最後は病気でお腹が大きくなってしまい、動物病院で亡くなりました。
確かフィラリアだったと思います。
ぼくは小学生の低学年くらいだったでしょうか。
サブの最後の姿を病院で見て泣いてました。
自分の兄弟のように思っていたし、ぼくは末っ子だったのでとてもかわいがっていました。
本当にかなしかったです。
2匹目は柴犬のボギー
サブが死んでしまってみんなさみしがりました。
「やっぱり犬飼いたいよね。」
となって、今度はちゃんと犬を買うことにしました。
全員一致で柴犬。
ペットショップに行って血統書付きの柴犬を買いました。
名前は「ボギー」。
確か親父がつけたかなあ。
ゴルフ好きだからか、
「ちょっと(性格が)パッとしないから、ボギーかな。」
とか言ってた気がします。
ボギーが来てしばらくは兄は自分のベッドで夜は一緒に寝てましたね。
顔はかわいかったですが、人をおそれているのかよく噛む犬でした。
ぼくの手にもまだ噛み跡が残っていますが、なかなか難しい気性。
「血統書つきだと血が濃いからなあ。」
と親父は言っていましたが、しつけの悪さもあったかもしれません。
特に親父はしょっちゅうゴルフくらぶでおちょくっていたので、そういう影響もあったんじゃないかと思います。
サブと同じように同じ場所でくさりにつないでいましたが、エサをあげるときにエサの皿を出してあげるとその手をかもうとすることも多かったです。
吠え方もサブよりもだいぶうるさかったです。
そしてある日、ボギーが消えました。
気付いたらいなかったんです。
鎖につないでいたのに、どうやってはずしたのか逃げました。
家族みんなで探してもどこにもいない。
「ひょっとして誰かが連れていったのかもしれないんじゃない?」
なんて思いました。
ぼくら家族は結構近所迷惑を心配していたんですよね。
だから誰か迷惑がっている人がさらっていったんじゃないかと思ったんです。
そうじゃなかったら普通自分で戻って来れるじゃないですか。
もしくは戻ってきたくないほどボギーがうちの家を嫌がっていたのか。
そう思うと胸が傷むんです。
ボギーのことはずっと心の傷になっています。
もっと愛情を注いであげればよかったんじゃないかと。
それきり我が家ではペットは飼っていません。
自分が親になって
今子供が二人います。
息子は動物は苦手な方ですが、娘は動物好き。特に最近は猫より犬派。
うちの奥さんも小さいころ雑種の犬を飼っていたのでわりと飼いたい熱は家族内ではあります。
それに前にこの家に住んでいた方も飼っていたそうで、しかもお隣さんも最近まで外で飼っていました。
飼う環境としてはかなりいいですね。
でも奥さん的に飼うことの負担が心配で「今はやめておこう」ということに。
結局世話をするのは大人になるパターン多いですからね。
特にうちの娘の場合はなりそうです。
でもその代わり娘には秋田犬のぬいぐるみを買ってあげて、娘は「あきちゃん」と名付けて大事にしています。
子どもたちが中学生になったら飼うかもしれません。
動物を飼うことについて
サブが亡くなった時、ぼくは人生で初めてかけがえのないものを失ったという体験をしました。
命というものはかけがえのないもので、死んでしまったら二度と会えない、二度ともどってこない。
そのことを初めて知ったときでした。
それを学ぶために動物を飼うかというとそれはまた議論が必要だと思いますが、動物を家族の一員として愛情をこめて飼うことが、とても大切な時間であることは間違いありません。
そしてそこから人が学ぶこと、彼らに感謝することもたくさんあることも間違いないと思います。
「好きだから飼う」で全然いいと思いますが、少なくとも動物の命はかけがえのない命であり、飼い主は最後までその命の責任を負わなければなりません。
ところでぼくは牧場で働いていたこともあり、けっこう動物好きです。
馬も犬もヤギも鶏も飼っていましたが、まるで人格があるように感じます。
ぼくがよくないなと思うことは、彼らを自分の道具にしてしまうというか、自分の満足のためのはけ口にするようなことは嫌だなと思っています。
無責任さの一番の表れは捨て犬ですよね。自分に都合が悪くなったら捨てる。
これが人間の家族だったら絶対ありえませんよね。
どんなに大変でも、どんなになついてくれなくても、それでもともに生きていかなくてはいけないです。
生き物にはそれぞれ個性があるので、こちらの思うようになってくれないということが起きて当たり前です。
ストレス発散のはけ口として傷づけることは当然よくないですが、自分の癒しのためだけに利用するというのも危険な傾向だなと思うときがあります。
例えば犬はかつては仕事を割り当てられた存在だったのではないかなと思います。
家族の一員として部外者から守る、家畜を見張る、そりをひく。
それがだんだん人間が自分の自分の心の癒しのために役立てる様になってきているなと感じます。
彼らを犬として、仕事を担ってくれるものとして尊重するというよりも、愛玩というか玩具化しているというのでしょうか。
ペットの犬の大きさも小型化しているし、室内飼いになっているし、「かわいい」という充足感や小さいから御しやすいという征服欲になってるじゃないかと思います。
ただし、そもそも犬は人間が利用したい形にしていったものでもあるので、その流れの一環なのかなと思うと、ぼくが思うことも的外れなのではということかもしれません。
そしてこんなこと言いつつも、いざ飼う時には室内で小型犬を飼うようになるのかもしれません。
おしまい
written by SEGE