今週のお題「マイルーティン」
ルーティンはこうして作り、そして作ったらこわさなくてはならない
ルーティンなんてなかったし
20代→ルーティンいっさいなし。
30代→ルーティンは毎日新聞を読むことのみ。しかも毎日読めないことも。
40代→ルーティン増加。いくつかに落ち着く。
20代のほとんどは、音楽と旅と酒とアルバイトでしたね。
旅生活は2,3年ありましたが、それ以外の日常はぐちゃぐちゃすぎてルーティンなんて考えることもなかったですね。
むしろ旅の最中の方が早寝早起きになるので規則正しいんですよ。
それでも楽器を弾いていること以外はルーティンはないですね。
野宿しながら毎日腕立て伏せとか、アジア放浪しながら腕立て伏せとか、ぼくはそんなことできません。
そんなことをしようとも思わないし、旅はアクシデントや想定外のことが起きることに身を委ねていった方がいいとぼくは思うので、ルーティンはないほうがいいと思っています。
楽器を弾くのも「一日何分」とかそうやって決めていたわけではなく、ただ弾きたいから弾く、演奏する機会があるからやるということなので、ルーティンと言えるのかどうか。
30代は仕事が始まり、仕事が忙しすぎて毎日新聞を読む程度のことでさえ、時にはできずにたまっていくような感じでした。
子どももできたので、なおさら忙しかったですね。
そうすると仕事と子供の相手だけで1日はあっという間に終わってしまうのです。
でもみなさんそうですよね。
「自分の時間」というものは、しっかり意識しないと作れないものなんです。
ルーティンを定着させるには
誰もが、やらなきゃと思いはじめたはいいけど続かないという経験があると思います。
三日坊主とはよく言ったものです。
やりたいと思ったことが習慣になっていかないと、「自分てだめだ。」「どうせおれなんてそういうやつだ。」みたいになりがちですよね。
そうやってチャレンジする気力が奪われ、悪循環におちいってくことも多いですよね。
それほどルーティンを定着させるということは難しいですし、誰もが定着させたいと切に願うものでもあります。
消えてったルーティン
ぼくの中で消えて行ったルーティンはいくつかあります。
・早朝ランニング
・新聞を毎日全ページ読む
・瞑想20分
・英単語を毎日少しずつ覚える
・筋トレ
・ピアノの基本練習
・目のトレーニング
などなど
どれも身に着いたらとても素晴らしいものばかりですが、続かない理由は「無理があるから」「ハードルが高いから」です。
ぼくは何を隠そう早起きがすごい苦手です。
そういう人が早朝ランニングをしようと思ってもなかなか続きません。。。
2か月くらいで挫折しました。
「新聞も全部読もう」と思うと読み切れず、積読になってしまい、なおさら読む気がなくなるという悪循環。
あとでまとめ読みをすると何時間もかかり、「なんて休日を無駄に過ごしているのか」と思い自己嫌悪と罪悪感。
おそらくこのブログを読んでいる方の中には、新聞や本は「全部読まないとすっきりしない」という方もいるでしょう。
そういう完璧主義チックなところ、ぼくにもありまして、そういう性格の人はルーティンが定着しにくいです。
なんでもしっかり、完璧にやろうとすることで、ハードルが上がって逆に続かないんです。
ぼくは新聞に関しては何年もかかりましたが、基本的に「流し読み」「とばし読み」を徹底することで毎日さくさく読み終わるようになりました。
そうやって割り切ることもすごく大切です。
他にもいろいろなことをやろうとして失敗してきていますが、ルーティンがありすぎて続かないというのも一つの原因です。
あきらめて自然淘汰にまかせて間引くということも大切です。
ルーティン定着のポイント
失敗したルーティンからいろいろみえてきます。大前提として自分にハードルが高いことはしないということです。
・ハードルが高いことはしない
・小さな課題から始めて、だんだん難易度を上げる
・完璧を求めない
・続けることを第一の目標にする
・初動を楽にする、とっかかりを簡単にする
・「ながら」でできないか工夫する
・やりやすい時間帯、やりやすいタイミング、やりやすい場所を工夫する
・続かない時は、ルーティンが多すぎないかどうか見直す
たとえばぼくのルーティンは、
・ほぼ毎日約1km以上走る
・毎日新聞をざっと読む
・コーヒーと1日3杯飲む
・毎日水分を1.5L程度飲む
・時々瞑想を食前に5分以上する
・本を読むときは最低10ページ読めば満足する
・毎日聖書を2章だけ読む
・毎日日記を決まった項目5つくらいだけ書くことにする
・メルマガを毎日1つだけ読む
・毎朝起きた時に簡単なマントラを唱える
などです。
どれもめっちゃハードルが低く、すぐに終わるものばかりです。
ぼくがランニングをルーティンにできたのは
実は暇な人はルーティンを定着しずらいのではないかとぼくは思っています。
時間がたっぷりあると大きな課題を設定してしまいがちだからです。
ぼくは忙しいからこそ、「少しの時間でできることは何か」という考え方ができたので、自然と「ほんのちょっとのことでも続ける」というハードルの低い課題になり、それがルーティンを定着させる一つの理由になったと思います。
ランニングを続けるコツ
・「毎日」にこだわらず、週に数回走ればよいとする
・何キロも走る必要はなく、1日1kmで充分と割り切る
・ぼくが走りに行ってもいい時間帯を探し、夕飯前に走ることにした
・家族の理解を得る
・走りやすい場所がある
大事なのはハードルが低いことです。毎日続けるとして苦にならない程度にすること。
ランニングは無理ならウォーキングでもいいですよね。1kmじゃなくても近所1周でもいいですよね。
ぼくは1kmなら5分程度で終わるということが分かり、これならできるかなと思いました。
しかも職場でも走れるところがあり、仕事が終わったらそこでさっと5分だけ走れるんじゃないかと思ったんですね。
結構勇気が要りましたがたったの5分だと言い聞かせて踏み切ることができました。
これがきっかけで定着に拍車をかけた感じです。
だれでも職場で走れるわけではないですが、ルーティンが続けられる場所というのも大きな要素です。
ぼくは家から多摩川が見えるところにあるというのも大きいです。週末は必ず多摩川で走っています。
どんな場所なら続けられそうかということはとても大きいですね。
読書なら、家よりも車の中とか、帰りしなにカフェでとか、漫画喫茶でとか、通勤電車の中でならとか、ろいろあると思います。
それと家族の理解を得るというのも大きな要素です。
人に認められていないことをするのはそれだけで大きなハードルです。
なのでちゃんと理由や思いを説明してみんなにOKをもらってやるというのは大事な要素です。
とにかく心を軽くするということが大切です。
ぼくが休日は夕飯前に走るというのもそうです。その時間なら一通り子どもたちとも遊び終えているし、ぼくがいなくても大丈夫な時間。
しかも一旦始めるといつも「その時間は父ちゃんが走りに行く時間」とインプットされるので、走りに行きやすいです。
瞑想は長らく続けられませんでしたが、奥さんに「いつなら続けられるかな」と相談し、仕事の日の帰宅後すぐ、夕飯前ならいいんんじゃないかということになりました。
まだ週に1回できたらいい方ですが、だらだらと消滅せずにいられています。
それくらいおおらかで、「できなくてもいいや、気にしない」くらいの気持ちの方が続くと思います。
たくさん本を読みたいなら
ぼくは年に100冊本を読むというのを2年続けています。
これもハードルを下げるということで、1年目は50冊でした。
その後自信をつけて2年連続で100冊を超えています。
あと、マンガもあり、メルマガもあり、冊子もありというように条件を軽くしています。
自分のためにやっているので自分のルールでいいですよね。厳しいルールを設けて続かないなんてバカみたいです。
今年は仕事が忙しいと予想されたので、子供に読み聞かせする本もありにしました。
でも、今年はなぜか最速ペースで、今すでに120冊くらい読んでいます。
ぼくは同時にいくつもの本を読んでいます。それに違和感があるという人も多いと思いますが、ぼくは「学校の時間割みたいなもの」ととらえています。
1冊だけ読むことにこだわると、難しい長い本にぶつかった時、心が折れます。
なので、読みやすい本、短い本、浅い本が常にあることで、しんどいと思ったときにそっちを読み進めるということができます。
そうすると冊数がかせげてモチベーションが上がります。
また、これは最近はじめたのですが、ページ数を10ページと区切って読むことです。
5冊同時に読んでいるとして、毎日1冊10ページずつ読むというイメージです。
もちろん読めない日もあり、読みやすい本を1冊だけ読んで終わる、という日の方が多いです。
なぜ10ページとしたかというと、「300ページの本長いなあ。」と思ったときがありました。
そういう本て、気持ちが重くなって何か月も置きっぱなしになってしまうことないですか?
でも「1日10ページなら1か月で終わるのか!」と気づいたんですね。
それならいけると思い、ぼくが忙しくても1日に最低限読めるページとして10ページにしました。
余裕があるときはもちろんどんどん読み進めます。
そして誰もがあこがれる速読。
早く読めるに越したことは無いです。
でもなかなか難しいのも確かです。
速読には2種類あって、
・一つは単純に早く読める技術
・もう一つはとばして読む技術です。
1つ目の方は訓練が必要です。だんだんぼくは身についてきました。
2つ目の方は訓練もありますが、気持ちの問題が大きいです。
まじめで律儀な人は「すべての文字をしっかりよまないと行けない」と思いすぎています。ぼくもそうでした。
でも、そういう読み物もあれば、そうじゃない読物もあるとぼくは今では思っています。
ざっと読んでいいものはざっと読んでもいいんです。ちゃんと読みたいものだけじっくり読みましょう。
そうすると複数の本を同時に読んでいる時、ハードルの低い本と高い本をちりばめておくと、低い本はざっと、素早く読み終わることができ、気持ちよいです。
そうやってぼくは読書欲を維持しています。
ルーティンを定着させるポイントで意外と盲点なこと
それは先ほど出てきましたが、「心を軽くするということ」です。
これが本当は本丸かもしれません。
心が落ち着かない、ざわついているという時は、一つのことに集中できません。
いつも何か気になっていると目の前のことに集中できないのです。
そうするとルーティンどころではなく、ほかに大事なことはないかと心配や不安におかされて腰があがらないんですね。
それとか、自己肯定感が低い状態ではすぐに自分を責めてしまいどんどんやる気をなくしていきます。
何もする気が起きなくなります。
自分を責める時間、自分を癒す時間でいたずらに時が過ぎて行きます。
それがまたさらに自分をおとしめていきます。
そういう時は逆に大きな打開策を立てがちなので、踏み出したとしてもハードルが高すぎて続きません。
なので、心の問題をすっきりさせる、わずらわしい問題を片づけてから取り組むということが大切です。
そもそも「ハードルの低いことから」というのはそういうことですよね。
心への負荷を軽くしておくことがルーティン定着には必要です。
ルーティンは壊さなくてはならない
ここまでルーティンを定着させることを書いてきましたが、ぼくはルーティン信者ではありません。
人は自分がいろいろルーティンが身について、生きやすく余裕がでてくるようになると、できない人を卑下するようになるものです。
「なんでできないの?」みたいに。
ぼくもそういうことがありました。それって本当に嫌な奴です。
そんな人になるためにルーティンを身につけるのでしょうか。何のために自分はそれをルーティンにしたいのか。それを意識することはとても大事なことです。
ルーティンを続けるには、「そこに意味がある」ことがモチベーションを維持するためにも必須なことです。
ある時期までは自分を成立させるために自分を高めるためにルーティンによって成長を積み上げていく必要があります。
でも、自分が満たされることが最終目標でしょうか。
ぼくは自分がだいぶ病んでいた時代から自分が正常になっていったことによって、ある時そこにむなしさを覚えました。
「あれ?自分が自分の島だけ豊かにしていい気になっている気がする。」
「何かができること」が人間の真の価値ではないなとぼくは思っています。
また、ぼくは「意味のあること」を求め、常に「何かのために」生きる、自分の行動が全て「何かのためにある」ということが理想だとは思いません。
人には「意味のない」という要素もとても大切だからです。
意味のないもの、価値のないものだけに価値を置くとしたら、とても苦しくないですか?
常に人間は意味や価値を求めて改善し、成長していかなくてはならないのでしょうか。
ぼくはそうは思いません。
何もできなくても、素晴らしくなれなくても、ぼくは人に価値があると思います。
だから時どきルーティンが嫌になります。
「これをしていれば大丈夫」という自分が現れてくるからです。
さっきの話ですが、自分が満たされることが最初に必要だとしても、それが最終目標でしょうか。
ルーティンを定着させ、何かが身についていきます。
でもその先にあるものは何?ということを忘れてはいけないなと自分に思うわけです。
だからルーティンの意味というものがそういう意味でも大切だと思います。
運動して健康になる。本を読んで見識を深める。瞑想して精神を深める。
そしてその先になにがあるのでしょうか。
なのでぼくはルーティンなんてぶっこわしたい、ぶっこわせばいいと思う時があります。
そんなものにとらわれずに、もっと自由に自分も人も見てあげたいと。
少なくともルーティンは何年か続けたら見直した方がいいです。
そのルーティンを続けた方がいいのか、やめた方がいいのかアレンジしたほうがいいのか。
自分が本当に成長しているのかという視点を忘れずに進んでいきたいものです。
ということで皆さんも、時にはルーティンをぶっこわすことも考えましょう。
おしまい
written by SEGE