今週のお題「手土産」
手土産という文化に気づくのが遅かったぼく
20代前半は放浪の歌うたいの旅人でした。
特に日本二周の時はヒッチハイクで野宿の旅をしていたので、哀れに思った方のお家に泊めさせてもらうとか、友達の家に泊めさせてもらうなんてことがしょっちゅうでした。
というか、野宿以外はそれです。
なのでどなたかの家にお邪魔する時に手土産を持って行くということはなく、ただ感謝して、お邪魔するということになります。
学生時代に友達の家にいくこともありましたが、手土産を持って行くなんて気の利く粋な青年ではなく。
そのまんまのおこちゃま世間知らずの旅人になっていたので、「てぶらでお邪魔してすいません」なんてことを言う発想もなく。
いや、まさか手土産を持ってバックパックで野宿の旅をできる旅人を期待している人もいないので、助けてくれる人がぼくにそんなことを期待することはもちろんないです。
たとえぼくが当時手土産の文化を知っていたとしても、もちろん用意するお金もないし、持ち切れるはずもないのですが。
でも気持ちの中で「手土産あればなあ」という気持ちなんて芽生えずに旅を終えていたし、ぼくに手土産を持ってくる人というものなく、ぼくはそのままそういう大人になっていきました。
え?この人たち手土産もってきてる!
でも、そういうことって教わったことがないんですよ。
親にみなさん言われるんですか?まさか学校では教えないですよね。
だからぼくは、「だれかのお家に行くときは手土産でも持って行くものだ」という文化を知らなかったのです。
そういう心がなかったわけではないですよ。
母の日に花を贈るとか、誕生日プレゼントを贈るとか、入院している友達に何か持って行ってあげるとか、そういうことはできます。
でも家にお邪魔するときに持って行くということは、あまりよく分っていませんでした。
「何か贈りたいものがあるときにすればいいだろ」くらいな気持ちです。
「そんなこと期待する関係なんて堅苦しいだろ」みたいな気持です。
でもちがうんですよね。
社会人になって誰かの家にお邪魔したり、誰かを家にお招きしたときに、まわりの人たちがみんな何か持って来るんですよ。
そういう時に、自分だけ持ってきてないことがあったんです。
それとぼくがお邪魔した時には持って行かなかったのに、相手がうちに来た時に持ってきてくれたんです。
それでものすごい恥ずかしい気持になりました。
「やべ。おれ、大人になってない。あまえんぼうの、分ってないやつだ。」
と。
そういう思いが芽生えると、
「あーあの時手ぶらで行ったあそこの人たち。おれは、『いい大人して手ぶらなんだなあ』と思われてたかも。」
なんて振り返ります。
そんな思いを何回かしていくうちに、「手土産はいつも頭に入れておかなきゃな」と思うようになりました。
最近の好感触だった手土産
幼稚園の子供がいる友達の家に、ぼくとぼくの娘、共通の友達2人で行った時の事。
何か物をあげたとして、奥さんも子供も満足してもらうのって結構ハードル高いですよね。
なので、大人も、子供も、友達も、そこにいるみんながハッピーになるものって何かなあと思ってひらめいたのが、アイスクリームです!
しかも「ハーゲンダッツ!」
これならみんなときめいてみんなで楽しめるし、好みでもめることを想定してたくさん買っておいても余ったものはそのままお邪魔になったお宅にプレゼントできる。
色々買ってもそんなに高くはないし。
そして当日お披露目をすると、
「SEGEさんまじいいね!やられたー!その手があったかあ!!」
と一緒に行った友達に行ってもらえました。
友達の子供もよろこんでたし、うちの娘もよろこんでました。
よかったです。
みなさんも困ったらハーゲンダッツいかがでしょう。
おしまい
written by SEGE