今週のお題「バレンタインといえば」
あの子は今3児のママinLondon
ぼくはカトリックの家に生まれたのでこういう行事には若いころは信者でもないのに目くじらたてていました。
特にクリスマス。
「クリスマスってイエスの誕生日だよ。みんな知らないの?プレゼントとかケーキとか、ばかじゃない?」とか。10代のころ心ひそかに思っていました。
今は思ってませんよ。お互いを大切にしあうのがイエス様の願いなので。
バレンタインデーって何?
じゃあバレンタインデーは?
これはローマ帝国にいたバレンタイン神父にちなんでいるそうです。
当時の皇帝が兵士の士気を下げないために結婚を禁じたそうです。愛する人を置いて遠征に行きたくなくなっちゃいますよね。
でも結婚したいじゃないですか。そこでバレンタイン神父はひそかに結婚式をしてあげたそうです。
それが皇帝の耳に入りバレンタイン神父は殉教。亡くなってしまいます。
という説です。
つまり恋人たちが互いの大切さを祝う日ですね。
小学校時代のモテ期
誰でも人生で1回はモテ期がくるそうですが、ぼくは小学校の時に来てしまいました。
もっと後に来てよ。
小学3年生のころから毎年2月14日になると休み時間から帰ってくるのがドキドキです。
授業するためにもどってくるじゃないですか。外から野球とかした後。
そうすると席に着いて教科書でも机の中からとろうとすると、手が違うものにはばまれるわけです。
チョコの箱とかが何個も入っているんですよ。
でかくて箱が歪んでいて、無理やり押し込んでいるのもありました。
それが毎年続くのでぼくは天狗になってしまいまして、
ある年女子に、
「今年のバレンタインはどうなの?」
とバレンタインの数日前にきかれました。
「まあ、4個はもらえるかな。」
と答えちゃったわけです。もらえて当然的な。いやなやつです。
実はその子、ぼくにチョコをくれようと思っていたみたいで、その発言を聞いてやめたそうです。
大人になってからそれ聞きました。
ガーン。人はおごってはいけないのです。
その後
ぼくには好きな女の子がいて、それも両想いでした。もちろんその子もチョコを毎年くれました。
でも、6年生になった時、イギリスに引っ越してしまったんです。
(こういうとき、どうしたらいいのかな。)
ぼくは彼女が旅立った後、手紙を書きました。
いや、告白なんかしてませんよ。日本にいたときも告白とかしてません。でもお互いに好きなことは、まわりの友達からもれ伝わってきますよね。
本人同士はそういうことは言い合わない。まあ、小学生ですから。どうしていいかわからないもんです。
手紙にも、「元気?」とか「最近こっちではこういうことはやっているよ。」とか、「そっちはどう?」とか、そういう内容を書いていました。
今だったらメールやラインで簡単にやり取りできますよね。でも、当時はアナログの手紙です。当然。
数か月に1通くらいな感じで文通がはじまりました。
実はこの文通が5,6年続きました。なんと純な・・・。
これが現代だったらどうなんでしょう。すぐにやりとりできるのが逆にあだなんじゃないかとさえ思います。
速攻決裂していそうな。だって、へだたりは否めません。あちらはロンドンですよ。まったく違う生活、違う言語で生活をしてます。
10代の身で自由に渡航するわけにもいかず。
数か月に1回の文通。話題を見つけるのが難しい。
ぼくは彼女との共通項を考えて、音楽の話題なら共通の話題になる!と思って、当時洋楽ばかり聴いていたし、手紙の内容はそれが中心になりました。
そんなことを何年も続けていました。その一因はぼくが男子校だったのはありますね。
女の子との接点がないので、
女子との接点なし < 女子と接点 < 女子と文通 < 彼女あり
みたいな感覚なわけですよ。だから文通に安定しちゃいますよね。
会いたい
としごろの男女です。絶対会いたくなりますよね。少なくともぼくは会いたかったです。
そして1度だけ高2のときに会いました。彼女が一時帰国するということで同窓会が開かれたんです。
めっちゃうれしかったです。いや、というよりもドキドキしたという感じです。どうしたらいいのかな。どんな感じなのかな。あの子はいまどうなっているんだろう。
そんな思いでいっぱいでした。
その数日後には同窓生のうちの男女3人ずつでディズニーランドに行きました。
まわりは当然ぼくらが二人きりになることを期待していたはずです。
でもぼくはこてこての男子校ボーイズで、女の子と二人きりになったこともなければ、なったとてどうその先に進めばいいのかなんて全くわからないんですよ。
頭では「二人になるように誘ったほうがいいのかな。いまそういう場面かな。」とか思いながらもあまりに普段の現実とかけ離れているというか、何かアクションするということが程遠い世界です。
ただ時が流れるままになってしまう。
結局同窓会の時も、おそらくまわりが気を使って設定してくれたディズニーランドに行った時も、ぼくは何もしないまま、ただみんなで遊んだというだけで終わってしまいました。
ディズニーランドを出て別れ際、まわりの女子が、
「ねえ、いいの?」
と彼女にこづいていたのを思い出します。彼女は、「うん。。。」とぼくの目をみて言っていました。
ぼくはただそれを見ていただけでした。
今思えばやれやれです。でも無理はないですよ。ぼくたちはある意味小学6年生でとまっているんですから。
ただあちらはロンドンでいろいろもまれているだろうから、ものたりなかったかもしれません。
ところが高3のときでしょうか。もう進学が決まっていた時だったと思います。
もう男子校生活も終わるし、高校生活も終わるし、春休みになるから彼女に会いに行きたいと思ったんです。
そこには、(ぼくはもうすぐ大学生になる。)という思いもありました。彼女との関係がはっきりしないまま、大学生活を送りたくないと。
ぼくも自由になりたかったんです。
でも会いに行くには親の許可が当然必要です。お金も出してもらわないといけない。
おれ「ねえ、イギリスに会いに行きたい。」
母「やめなさい。行かない方がいいこともあるのよ。」
おれ「いや、行って確かめたい。終わりにするにしても実際に会いたい!」
母「よく考えてみなさい!やめなさい!」
ぼくは泣いて母に訴えました。今思えば母が正しかったと思います。でも、切り出した自分には拍手を送りたいです。
ぼくは結局本当の恋愛をしていなかったんだと思います。小6の時の「好き」は嘘ではなかったけど、18歳の「好き」には満たされなかったんです。
彼女との関係は、18歳のぼくを満たすことはできないものになっていました。
ぼくにはこの恋に終わりを告げるとどめがほしかったんです。
結局イギリスに行くのは母の言う通り断念しました。
恋の終わり
ついに均衡は大学に入ったときに崩れました。こちらもリアルな彼女がほしくてほしくてしょうがない。
あちらだってそうでしょう。あるとき彼女からの手紙にこんなことが書かれていました。
「〇〇に誕生日プレゼントにヘリコプターに乗せてもらったの!」
ガーン。
これって彼氏ってことでしょ?外人だし(当たり前だけど)。しかも、ヘリコプターて。完全にセレブじゃん。レベルちがうじゃん。
とはいっても実際ぼくのほうもこうなることはわかっていました。むしろこれでよかった。
だから手紙には「よかったね!」みたいなことを書いたと思います。そのあとどうしたか。たぶん文通はフェイドアウトしました。
現在彼女はロンドンで3児のママをしています。だんなさんはおそらくヘリコプターの人?かどうかは分かりませんが、一応フェイスブックでつながっています。
いつかまた会う日は来るのでしょうか。
なつかしい恋の思い出でした。
おしまい
written by SEGE