今週のお題「わたしがとらわれていた『しなきゃ』」
人生は一つのことにしぼらなくてもいい
「何かで身を立てるには、一つのことに身をささげるべきだ。」
相田みつをさんが「いちずに一本道 いちずに一ツ事」という詩集を出しています。
かつてぼくはまさにそう思って生きていました。
でも、それは確かに正しいことでもありますが、そうあるべき人もいれば、そうじゃない人もいます。
確かに何かで身を立てるには、そこに全身全霊を注ぎ込まないといけないものがあります。
特にスポーツやアーティスト関係、創作関係、研究など、自分の個の力に頼るものはなおそうです。
ぼくは歌で、シンガーソングライターとして成功したいと思っていました。
当時はまだSNSの時代ではないので、個で売りだすのが難しい時代でした。
わかりやすく極端に言えば「メジャーデビューするかしないか」というところで多くの若者が音楽をやっていました。
ブルーハーツのようにインディーズでも全国区になっていく例が増えていましたが、それでもライブなどでムーブメントを起こす力がないと無理な話です。
ぼくはアジアを放浪しながら歌ったり、「日本二周ヒッチハイクの旅」というツアーや、「3か月で沖縄東京を何往復できるか」のツアーというものを行ったりし、ライブ三昧の数年間を過ごしました。
その中で喜納庄吉さんの前座を務めさせていただいたこともありました。
プロデューサーとして活動をサポートしてくださる業界の方がCDを制作してくださったり、ライブをぶっきんぐしてくれたり、それなりに進んだところもあります。
でも、あるとき行き詰ってしまいました。
ツアーを終えた時、この後どうすればいいか分からなくなったんですね。
一言で言えば将来が不安になったんです。
ぼくには3つ考えることがありました。
・付き合っている彼女とどうしていくか
・自分の親や兄弟とどうしていくか
・自分自身の心はどうしたいと思っているか
ぼくの家族は心配していたと思います。
「もう音楽はやめて普通に働いた方がいい」
「やるなら大手に売り込んだりした方がいい」
でもぼくは自分のやり方にこだわっていました。
「退路を断って音楽だけに身をささげるべきだ」
「身を捨てる覚悟を決めたときだけ立ち上がる力があるんだ」
「甘えがあるから本気になれないんだ」
「そういう覚悟を決め、闇を乗り越えた人たちがメジャーでやっていけるんだ」
ぼくはそう思い詰めていたのに、音楽活動に大きな変化は起きず、ただバイトとライブの日々が惰性で続いていきました。
当時彼女がいたぼくに、兄が言いました。
「おまえ、彼女どうするんだ。どっかで一線を引いて活動しないとかわいそうだぞ。」
と。
確かにぼくには何年も付き添ってくれていた彼女がいて、でもぼくはいつも自分のことばかり考えていて、ろくに彼氏らしい付き合い方をしていませんでした。
ライブとバイトと飲み会であまりデートもできず。かといってぼくが音楽をどういう展望でやっているのか伝えられず。
どうしたらいいか悩んでばかり。
兄に言われて「これはまずい」と思ったんですね。このままでは「おれは無責任な男だ」と。
彼女を大切にしない奴なんておれは最低な男だなと。
今度は「おれは彼女と結婚しなきゃだめだ」とまた極端に思い詰めます。
きっと彼女はすでに当時ぼくのことをもうあきらめていたと思います。ぼくと続けていくか悩んでいたと思います。
ぼくは自分が「こうじゃなきゃだめだ」「こうあるべきだ」という考えに毒されていて、相手や周りが見えてなかったと思います。
だから彼女からしたら、「本当に結婚するつもりなの?」と不振に思ったことでしょう。
とにかく彼女との思いはずれていても「このままの活動を続けていては結婚なんてできるわけがない」と思いました。
じゃあ、音楽をどうするか。
音楽をやめて結婚するか、音楽を続けて彼女と縁を切るか
ぼくの音楽活動はそれなりに活気はあったので、何年かたってから「SEGEはちょうど今からぐんぐん売れていくと思っていたのに」と言われたこともあります。
なのでそのまま音楽を続けていくという選択は客観的にはおかしくなかったと思います。
でもぼくの心の中は真っ二つに分かれて真っ暗闇でした。
もしも今音楽から身を引けば、ファンの人たちはきっと嘆くだろうということが想像できました。
「負け犬」とか「だめだろ!」と厳しい言葉を投げかけてくる人もいることも想像できました。
今までお世話になった人たちを裏切ることになるとも思いました。
じゃあ、続けるのか?
その苦しみの中で、当時ぼくはパニック障害になります。
顎関節症になり、声が出にくくなり、動悸が急に激しくなったり、衝動的に暴力的になりそうになったり。
ホームに立つことや踏切の前に立つことがとても怖かったです。飛び込んでしまいそうになるんですね。
音楽を続けることの恐怖は、当時はまだその理由が分かり切っていませんでした。
でも当時はもう人前で歌うこと自体が苦しくて苦しくて仕方なかったです。
ぼくは自分で歌を作り、それを売って、ライブ活動をし、一生をそれで身を立てられることを目標にしていました。
だからそのためには音楽一つにしぼる必要があると思っていたんですね。
そこに人を巻き込みたくもないし、きっと家族は反対する道なので家族とも縁を切って進まないといけないとも思いました。
彼女とも家族とも縁を切って、その絶望の中でもしかたしたら新しいものが生み出されるかもしれない。
でもたとえそうしたとしても成功するとは限らないですよね。
うまくいかなかったらぼくはボロボロになるでしょう。
そんなことを考えていると思いが立ち上がってきました。
「普通に社会で働いてみたい」
それは当時の苦しい状況からただ逃げたいという思いの表れだったのかもしれません。
当時はそう思っていました。
「おれは逃げたいからそう思うんだ」と。
ただ、そっちを選んだとしても、歌を続けてほしい人たちからは落胆と失望の思いを持たれます。
どっちを選んでも地獄でした。
自分で人生の選択をするということ自体が自分を救う
結果として、ぼくは音楽から身を引く選択をします。
もう身も心もぼろぼろで、これ以上このまま進んだら人生を終えてしまうかもしれないと思っていたからです。
「この1年でメジャーデビューできなかったら、音楽から身を引いて、社会で仕事をする」
と宣言し、最後の1年を迎えます。
結局何も起きず、ぼくは音楽活動を休止しました。
その後ぼくは仕事に就き、3年ほどして音楽活動を再開しました。
人は、「自分で選んだ」「コントロールした」と思える時、平安でいられます。
人は、自分で自分のことが選択ができない時に心が壊れます。
選択肢の内容が大事なのではなく、どちらを選ぶかが大事なのではなく、「自分で選ぶ」ということが人生を進めます。
ぼくは音楽をいったん活動休止して平安が訪れました。
そのうえで再び活動を始め、あれほど苦痛だった自分の歌を、心から歌うことができるようになりました。
それは、自分で自分を認められた、ゆるせたからです。
「それは仕事をして安定を手にしたからではないの?夢をあきらめて、自分の身を守ったんじゃないの?夢よりも安定が大事なの?」
という声が聞こえてきます。
そういう部分もあるかもしれません。
でも違います。
「身を立てるなら何か一つで」と思わなくていい
ぼくの夢は、音楽一つで身をたてることではなかったということです。
ぼくは元来、なんでもやりたがり屋なので、「何か一つのことしかできない」状態がぼくにとっての苦しみなのです。
音楽から身を引いたとき、ぼくは「二度と音楽はしない」と思っていました。
でもそれは「人生は一つのことにしぼらなくてはならない」という呪縛にとらわれて思っていたからです。
ぼくはあるとき宇都宮の「クウチャリズモ」の店長さんに言われました。
「SEGE、やりたいことは何でもやらないとだめだよ。おれも言われるんだよ。雑貨だけにしろとか。一つにしぼればいいって。でもおれはそうは思わない。コーヒーも格闘技も音楽も、何でもやるって決めてる。」
それを言われてぼくはハッとしました。
「そうか。一本道だけが人生じゃないのか。そうした方がいい人もいるし、そうじゃなくて何でも手を出してやり続ける人もいていいのか。」
ぼくは旅をして、かつて分かっていたはずなんです。
「真実は一つじゃなくて、真実は人生の分だけある」と。
一つの考えがみんなにふさわしいわけじゃないのです。
いろんな人生があっていいんです。
ぼくはそれで分かりました。
「おれは何でもやりたい人だから何でもやろう。」
そしてそういう人たちの後押しをしたいと思っています。
まずは自分を大切にすることから始めよう
ぼくが二つの選択に割れていた時、ぼくは自分よりもまわりの人の言葉に振り回されていたと思います。
「こうしたらあの人はこう言うんじゃないか。」
そうやって人のことばかり考えて、一見自分を守っているようで、自分を全然無視しているんですね。
ぼくはどんぞこまで落ちて、「もうだめだ自分がだめになってしまう」と思って、自分を救う道を選びました。
「夢を捨てて自分の平安をとろう」
そう思いました。
でも、当時「夢」と言っていたことが本当に「夢」だったのかは眉唾物です。
ぼくは「音楽で身を立てること=夢」という分かりやすい構図にあてはめて考えていただけです。
違いました。
ぼくの夢は「自分のしたいことを人生で全てかなえていく」ということです。
その中に、
「結婚する」
「家族を作る」
「仕事をする」
「家を持つ」
「歌を続ける」
「ピアノを弾けるようにする」
「英語ができるようになる」
「旅をする」
「人生にはいろいろな生き方があってよいということを伝える」
「人を助ける」
などなどたくさんのことがあります。
そして当時ぼくが音楽だけを続けていたら、この道にはこられなかったかもしれません。
後悔していたかもしれません。
ぼくは自分を救ってあげてよかったと思いました。
そしてぼくは自分がどれだけ自分を傷つけてきたか、自分をきらいだったかが後でわかりました。
まずは自分の心を守ること、自分を救ってあげることが優先です。
だれかが自分のかわりに生きてくれるわけではありません。
自分の人生を自分で決めるということが、自分を救う一歩になります。
自分という人間は一人しかいないし、自分の心は自分にか分からないものです。
自分だけがしっくりくる生き方が必ずあります。
その自分を認め、ゆるし、自分をまず満たすことから始めましょう。
色々な人生があっていいですね。
おしまい
written by SEGE