今週のお題「この1年、どんな思いを抱いていましたか?」
「何かはじめるにはいい年ですよ。」
1年前を振り返るとちょうど日本でもコロナがニュースになってきたころですよね。
おそらく今週のお題はコロナとかけて1年の変化を問うているってことですね。
ぶっちゃけ、めちゃくちゃ変化しています。でもそうした人は多いでしょう。だってコロナでいろんなことが変わらざるを得ないですから。
昨年はネズミ年でしたよね。ネズミ年は干支で一番初めですよね。つまり、はじまりを象徴しています。生み出すことを象徴しています。
ちょうど厄年だったので正月に厄払いに言ったらそんなことを神主さんに言われました。
「何かはじめるにはいい年ですよ。」
コロナがはやり始めてからその言葉を思い出して、はっとしました。
まさに新しい時代がはじまろうとしているってことか、と。
自分が何かをはじめるだけでなく、これは時代が新しいサイクルに入ったということなのかもしれないと思ったわけです。
いや、コロナを全面的にプラスに受け止めているわけではないです。苦労されている方々がたくさんいます。
うちの兄も治療院なので経営は厳しいですよ。
でも、コロナでも来なければ変われなかったことが一気に変わってしまった、変わってくれたということもたくさんあるわけです。
たとえば在宅ワークなどは象徴的ですよね。これはオンラインの需要がめちゃくちゃ進んでいるということです。職場や通勤がいらないということが起きているわけです。
ぼくは新しい時代の幕開けだと感じています。
個人的な変化で言うと、ぼくの場合、コロナによって家にいる時間が増えたので、はじめたい、手を付けたいと思っていたことにことごとく手を出しました。
・庭をきれいにした・家庭菜園が充実した・MTR(マルチトラックレコーダー)で録音ができるようになった・読書100冊を達成できた・週3回くらいのランニングがほぼ毎日になった・ほぼ毎日ギターをさわれるようになった・切れ痔が切れない日が増えた・YouTubeで勉強するようになった・このブログを始めた・zoom飲みが増えてお小遣いの消費が減り、ほかのところに費やせた・idecoと積み立てNICA、NICAを始めた・paypayをはじめた・持ち帰る仕事が減った・映画を観るようになった・・・
だからなんだって感じですね。要するにやりたいと思うことがそれまでたくさんあって、ちょうどいいタイミングでコロナがやってきたということです。
10億円があったら?1週間に1時間しか働かなくて済んだら?病気にならない体だったら?夫婦関係が平和だったら?
資産運用とか。投資とか。働き方とか。健康とか。自己啓発とか。趣味とか。
巷にはガツガツやりまくっている人たちがたくさんいます。ブログ、ツイッター、YouTube、インスタ、メルマガ、音声配信などなど。
どれをとってもそんなものにあふれています。
さもありなん、ぼくもかじってます。
でも、そういったものの多くは「そこそこ普通に暮らせている人に対して、さらに豊かに暮らせるようにするためのもの」です。
または、自分の自己満足のためのものです。
人生のどん底で孤立している人たちのためのものでしょうか?
いや、自己満足は必須ですよ。まずは自分を満たしていかないとだめです。人に目なんか向きませんから。
でも、もしもすべてが満たされていたとしたらあなたは何をしますか?
それが最終目的ですか?
ぼくは確かにこの1年ものすごい変化でした。やりたいことやりまくり、はじめまくりです。いい感じでいい方向に動いています。
でも、この1年の変化を起こしているそもそもの思いは、
「おれって、これ以上何を求めるんだ?おれってそこそこ仕事で満足し、そこそこ家庭で満足し、そこそこ自分に満足し、そこそこ趣味で満足し、ひたすら自分を満たすだけの人生を送るのか?それがおれの人生の最高のパフォーマンスであり、目的なのか?」
という思いです。現状に満足しようとしている自分が、心の小さい人間に見えたんですよ。自分の池だけ豊かにしようとしているんじゃないかと。
それで40歳になるときに再スタートしようと決めたわけです。
でも何かを始める時間がない
アラフォーになるとおよそ人生の半分ですよね。つまり山の上から下っていく斜面が見えるようになるんですよ。
それをぼくは、
「めっちゃ満ち足りた下り方をしよう。」
と思ったわけです。どう下っていくか。
そして、今の枠を超えて、仕事だけにおさまらないもっと他の世界の人たちの力になれることをやっていこうと。
仕事やプライベートで、親から見放されたり、親から差別されていたり、家にいずらい子、いてもゲームしかしていない子などの存在を知ったりしていました。
また自分が若いころに非常に苦労したこと、何度も人生終わりにしたいと思っていたこと。そういうところに関わっていきたいと思っていました。
でも仕事以外にぼくには何も影響力がありません。いや、音楽はやっていますが、仕事には影響しないように活動しているので、音楽を手広くやるという選択肢はないです。
そっちは地味にひっそり浸透させていく作戦です。例えば最近音声配信はじめたし。
さらにぼくの仕事はかなりブラックな方なので毎日ほとんどの時間が仕事に忙殺されていました。
年に数回のライブをやるので精一杯。ライブがあれば無理やり練習に行くけど、ないときはギターにさわりすらしない。
本だって去年は100冊ですが、当時は年に数冊です。
まず解決しなければいけないのは時間でした。時間がないなら気持ちだけあっても結局なにもできないわけです。
近年は、お金じゃなくて「時間の価値が高まっている」と聞くようになりましたが、その意味が徐々に分かってきました。
時間を作ることができたのは、親友が教えてくれたこの本のおかげです。
あまたの自己啓発をたどっていくと、すべてはこの本に書いてあったというような金字塔です。
影響力を持つために
時間の次に問題なのは、影響力です。
たとえ時間ができたとしても、たとえ崇高な思いがあっても、ぼくの行動、ぼくの言葉が誰の目にもとまらなければ全く意味がありません。
たとえ目についてたとしても、
「あなたはどこのだれですか?」
と聞かれて、何の実績がない人が信用されるわけがありません。
そこで2つの手段があります。
①実社会でリアルに行動する
②ネット上で情報発信する
両方やっています。でも①にはどうしても時間がかかります。ぼくは子供たちを支援している2つの団体とつながりがありますが、それが今の限界かな。
②のために、まずこのブログをはじめたわけです。
ぼくは5年、10年かけてネット上でみなさんのお役に立てていけばいいかなと考えています。
このブログはそのスタートです。それにブログをはじめることによってさまざまなことが分かってきました。
一歩踏み出すだけで動き始める
ぼくは腰がめちゃくちゃ重い人間なんですよ。まわりからはそうは見られていないようですが、なかなか動きません。動きたくありません。
たぶん本当にやりたいことしかやらないんだと思います。
でも、人生はやると決めるだけで動き始めるんですよね。いや、やりたいなあとイメージしているだけでそっちに近づいていきます。
すぐに行動にしなくても、そう思い続けることが大事です。
そうするとアクションするチャンスが来ます。
不思議です。
それで動くと今度は新しい局面がまたやってきます。
子供への支援はそんな感じでした。
「若者の力になることしたいなあ」
と思っていたら、職場の研修の講師のお話の中にぼくの地元で活動している方が紹介されていて、結局その方に直接会うことができ、今はそこに時々顔を出しています。
また、ネット上ではブログをはじめたことで、今の時代ブログってすごいみんな考えてやってるんだなあとか、ツイッターの価値がわかってきたし、アルゴリズムがあるとか、アフィリとか投資の話とか、すごい世界が広まったわけです。
YouTubeって社会学習にかなり有効なコンテンツあるなとか。
そして最近音声配信を始めました。ブログやってなかったら行きつかなかったと思います。
原点を忘れない
音声配信に行きついたとき、ぼくはハッと気づきました。
ブログもツイッターもそれはぼくの中ではサブの発信であって、やっぱり歌を届けることを中心にしたいんだったということです。
ネット上で便利な情報を発信していても、それが目的ではなく、それはどちらかというと自己満足的であって、その先の目的を忘れちゃいけないなと。
今年は書初めで「原点」と書きましたが、「こういうことだったんだ!」と自分で自分に気づかされています。
投資もやりはじめましたが、それでお金を稼ぎまくることが目的じゃありません。
やりすぎるとほかのことができなくなるということは気を付けたいところです。だから定期積立にしてあって、日常ほとんどチェックしてません。
そしてある程度自分が安定したうえで、他の人のために使うお金を捻出したいんです。
時間も毎日2時間自分のための時間(仕事や家族のための時間以外)をほとんど毎日確保できるようになっています。
そういった時間に音楽、ブログ、読書、オンライン飲みなどをして、仕事以外を前進させるようにしています。
「自分で直す」ブログはまだ続きます。これはぼくの特異能力でもあるので、自分だけにとどめておくのはもったいないと思っているからです。
みなさんはどうですか?
10億円があったら毎日何をして暮らしますか?
1週間に1時間しか働かなくて済んだら何をして暮らしますか?
病気にならない体だったら何をして暮らしますか?
夫婦関係が、家族関係が平和だったら何をして暮らしますか?
無敵な人だったら何をして暮らしますか?
おしまい
written by SEGE