日本二周ヒッチハイクの旅
この話を書いておかないと、これからちょいちょい引き合いに出てくるエピソードがあるはずだから、自己紹介がてら書いておきます。
20代のころ(現在40代二児の父)、日本二周ヒッチハイクの歌旅をしていた。二周だよ。一周じゃなくて。全都道府県を回り、2年かかった。ギターとバックパック。寝袋。テントなしの野宿旅。スタート時の所持金5万円。
その前にインド、ネパール、パキスタン、タイを計2か月回っていて、旅先で歌いながら出会う人たちに、
「日本に帰ったら日本一周しながら歌届けに来てよ。」
と言われた。
日本一周はそもそも夢の一つだったので、内心びびりながらも
「よし、やってやるよ!」
と約束してしまった。(あ~あ、言っちゃった。)
有言実行な性格であり(裏を返せばできないことは絶対やると言わないからものすごく腰が重い方)、実行に移すことに。
日本に帰ってきて、(これからどうしよっかなあ)と、街をぶらぶらしていたある時、
(世界一周とか、日本一周とかっていうけど、なんでみんな一周なんだろう。なんで二周とかしないのかな。じゃ、おれは日本二周しよう!!)
と思い立ってしまったのである。
結局調べたら(日本一周ページのようなサイトが当時あった)、リアカーで日本三周目に旅立つ人、世界一周中の日本一周中の人、などが投稿してあり、世界は広いなと思った。
アジアから6月に帰国し、夏のうちに旅立とうと計画。だって、野宿旅を考えると暑いうちに日本二周を始めないとどんどん寒くなっちゃうから。資金は?10万はほしい。
でも、2か月で結局お金がたまらず、夏になっても5万しかなかった。自己嫌悪感で死にそう。
「いや、もう待ってらんない。とにかく行っちゃえ!」
と見切り発車。
母には置手紙をし、
「晩御飯はいいから、ちょっと日本二周してくる」
と書いて出てきた。
ようするに家出ですね。
すごい迷惑な息子ですね。
はい、このエピソードはぼくの歌になってます。
まず多摩川の河川敷に行き、大の字になって寝そべって、大空を見上げた。
その時の空は今でも忘れない。白い雲が流れていた。
「きっとこの空はずっと記憶に残るだろう。」
と思って心に焼き付けた。
もともと臆病ものなので、ヒッチハイクというもの自体がやばいくらい怖い。
でも、臆病を見せたくないたちだし、言ったからには、決めたからにはやらなきゃならない!!
東京は小金井街道からスタートし、世界堂で買ったスケッチブックに、「入間方面」と書いた。忘れもしない1台目は調布パルコに搬入しに来たトラックが埼玉まで帰るところに乗せていただいた。
そこから2年をかけて通算198台のヒッチハイクをした。どこで、どんな方に乗せていただき、どんな話をしたか、すべてノートに書いてある。
入間方面と書いたのは、秩父に大学の親友がいたからだ。
突然訪問して、というか東飯能で電話したのかな?それでも突然だけど、お世話になり、翌朝ギターケースに「日本二周」と書いた。
ギターケースにはその後、出会った方々、歌を聴いていただいた方々のいろいろなメッセージが書き込まれ、書き込むスペースがなくなったケースが結局2つになった。もう一つは「日本二周後」だけど。今でも大切にしまってある。
日本二周のエピソードは限りなくあって、それだけで一つのブログや本ができてしまうくらいだけど、今後もちょくちょく話題に出てくると思う。今日のところはここまで。
おしまい
written by SEGE