今週のお題「試験の思い出」
車の一発免許は54回受けても受からない?!
2003年。日本二周ヒッチハイクの旅。
ギターとバックパックを持って全都道府県を回りながら、アジアの旅で出会った日本各地の仲間に歌を届けに行く。
スタートの所持金は5万円。
ストリートでお金をもらったり、バックパックに入れたCDを買ってもらったりしながらの生活。
ぼくは夏に出発して11月に沖縄に着いた。
冬の沖縄を目指したのは、沖縄以外では冬に野宿ができないからだ。
ぼくは夏の寝袋しかもっていなかったのだ。
今帰仁村にある夢有民(ムーミン)牧場で働くことになった
沖縄に着いて4000円しかなかったぼくは北部の今帰仁村にある夢有民牧場で働くことになった。
働くと言ってもお金は基本的にはもらえない。
それに、初日に乗馬体験をさせてもらったことで、残りわずかのあり金もゼロになってしまった。
まあでも、食べるのと寝るのには困らないから春が来るまで牧場にお世話になることになった。
2か月くらいたったころ、ぼくの牧場生活はまた新しい段階に入っていた。
もはや牧場の生活には慣れっこで苦労も少なかったし、牧場を拠点としたライブ活動も増えて行ったので、牧場の仕事の濃さの質が変わってきていた。
それに新しくスタッフが数人入ってきたので、ぼくが先輩としてみんなに教えるという立場になっていた。
自動車のオートマ限定解除に挑戦することにした
(自分の時間ができたな。車の免許を取りに行こうかなあ。)
いや、無免許だったわけではなく、オートマ限定だったのを限定解除してマニュアルの免許にするということだ。
牧場の車はマニュアルだったので、オートマ限定のぼくは公道は走れない。
ただ牧場内の私有地なら動かせる。
そこでまず牧場内で練習することにした。
教官は牧場主のムーミンさんである。一番いやなパターンだ。絶対どなられる。
ムーミン教習所の一番最初の実技の日(実技しかないが)、車に乗り込むと、
「こらあ!!サンダルで運転する奴があるかー!!」
といきなり怒られた。
(いや、いつも自分はしてるでしょ。)
と心の中でつっこんだが、黙って従ってあげた。
いや、ムーミンさんの指摘は正しいのだが、ぼくはすでに車を運転できる人だし、この牧場内でそこを怒らなくてもいいと思う。
まあでもそうやってマニュアルの運転をぼくは覚えていった。
それでいよいよ免許をとりにいこうということになったのだが、実は免許は那覇までとりにいかなくてはならない。
那覇は今帰仁から70kmだ。しかも毎日のように通うというわけにもいかない。でも人生にはいろいろな裏技がある。
車の免許を一回の試験だけで取得できる「一発免許」
車の免許には「一発免許」というのがあるのだ。
通うのではなく、1回の実技の運転で合格すればそれで免許取得となる制度があるのだ。
その上受験料はうる覚えだが確か1回1500円だったか。めちゃくちゃ安い。
ぼくはこれを受けることにした。
ただし噂に聞くと合格基準はかなり高い。1回1500円でそう簡単に免許はとらせないよというわけだ。
まあ当たり前だが。
ぼくは意を決して、ミラーがぐらぐらする、方向指示器のリズムが悪い牧場の原付を借りて那覇に試験を受けに行った。
片道70km。58号線をひたすら南下する。
けっこうしんどい。
(福岡で初めて原付乗ったけど、あれがなかったらこれ無理だったな。乗っておいてよかったー。でも那覇に行けるってうれしいな。月光荘にも顔出せるし、OPAにも行けるし。)
※月光荘・・・お世話になったゲストハウス
2時間近くかけて試験場に着く。
試験場のトイレに行く。トイレの壁やドアなどにたくさんの落書きがある。
「今日で54回目だ。」
「15回目、合格できますように!」
そんな落書きがたくさん書いてあった。
(やばい。この一発免許、相当レベル高いかもしれん。)
しかし、人間てなんでこういうことをわざわざ壁に書くんだろう。それになんでマジック持ってるんだろう。
とにかく試験の結果。不合格。
ぼくは結構運転には自信があったのだが、甘かった。
(まあでも1500円だから、通いの数万円に比べたら大したことない。原付のガソリンも安いし。ていうか原付の燃料ってすごい安いな。)
ぼくは再チャレンジを決めて牧場に帰って行った。
さて、ぼくは一体この一発免許に何回通ったであろうか。
答え、5回。
5回目で合格できた?なかなか優秀じゃん?
いやいや、実は合格できなかったのだ。
5回目のとき、それまでの4回の反省を踏まえて合格のポイントはかなり分かっていた。
かなり自信があった。
しかし、右折の仕方で少しミスがあった。ウィンカーのタイミングとか、目視のタイミングとかそういうもう今では思い出せないくらい微妙なミスだ。
それが不合格の原因だった。
とにかく1つでもミスがあったら合格できない。
(あー、おしかった!悔しい!6回目やりたいな。)
しかし、6回目はできなかったのである。それは、ぼくが沖縄を出なくてはならなかったからだ。
月光荘での1周年記念パーティが近々あり、そこに出演し、そのまま沖縄を発つことになっていたのだ。
もう春が来ていたのだった。
でもオートマ限定解除は必ず果たしたい。
沖縄を出てもまたこの牧場にもどって来ることにしていたから、それまでには絶対解除しておきたいのだ。
そしてぼくはその後、東京にもどった時、しっかりと限定解除を果たした。
ただし、もう一発免許はやめてちゃんとお金を払って通い、確実に取らせてもらった。
そして2度目の牧場の土地を踏んだ時、まずムーミンさんに言ったこと。
「おれ、マニュアル運転できるようになったよ。」
そしてムーミンさん。
「残念。車、オートマになっちゃったよ。」
(ガーン。)
おしまい
written by SEGE