ウサギと亀で言うと、インターネット文学は亀かな
インターネット文学って何?
「いや、文学って言ったら書物でしょ。」
というのがぼくの正直な感想ですよ。
それ以前に、ネット上のものをぼくはあまり読まないというか、ぼくの中では「ネット=調べて教えてくれる情報」なのです。だから「ネット=文学」という認識があまりないんですよね。
みなさんはどうですか?
文学と呼べるほどインターネット文学は人々の中に認知されているのでしょうか。文学を手にしたいなあと思ったら、やっぱり本を、もしくはネットブックを探すものではないでしょうか。
いや、でも「インターネット文学」とカテゴライズされると考えさせられます。
「インターネット文学って何だろう。」
と。
これは本やキンドルなどのネットブックではない、ブログなどにあるコラムやポエムや小説のことをさしているんですよね。
そう考えると、やっぱりインターネット文学というものはちゃんとありますよね。
インターネット文学の現在地
ぼくがはじめてインターネットを始めたころは、「ホームページ」というものが自分の情報発信のベースとして中心的な存在でした。
いや、実際それしかなかったと思います。
ブログのようにさくさくと更新されていくというものではなく、ホームページに時々更新される静的な情報を載せるという使い方でした。
インフラ・通信の発達と伴って、ネット上に情報を公開しやすくなり、ブログ、そしてツイッターのようにどんどん情報は動的になってきました。
でも、ホームページが主体だった時代にも、すでに「文学」と呼べるものはあったと思います。
インターネットの最大の価値は、個人が全世界に開かれるという点にあると思います。だから世界へ向けて詩やお話を掲載している人たちはいたでしょう。
ただ、さくさく更新できないのでリアルタイムに作品を載せていくということには当時は向いてなかったので、世界の誰かに見てもらうということ以上の価値は少なく、「インターネット文学」と銘打つほどではなかったでしょう。
それが現在では個人の情報をすばやくのせられて、しかもインターネットの普及率はいわずもがなです。
大手だけが覇権をとる時代はすぎさり、YouTuberのように個人が活躍できるようになっているのは、周知のとおりです。
さらに、ブログサイトにもサイトによってカラーが違うというか、それはかつての文学誌の違いに似てきているようにも思えます。
note、はてな、アメブロなど、それぞれカラーが違いますよね。
そうすると「インターネット文学」という領域がどんどん整ってきているように感じます。
また、その延長でキンドルなどで出版するという流れもあります。
誰もがYouTuberになれる可能性があるように、ちょうどいま、誰もがその文学の担い手になれる可能性がある時期なのではないでしょうか。
そういった視点からすると、書物の文学はインターネット文学にどんどん追いつかれているのではないでしょうか。
ウサギと亀で言うと、書物はうさぎ、インターネット文学は亀なんじゃないかなと感じます。
自分とインターネット文学
それでぼく自身はといえば、実は毎週小説を連載しています。
そちらはnoteですが、かつて日本二周した旅を振り返って長編のお話を投稿しています。
ぼくはずっと以前から「いつか本を出したいな」と思っていました。
それが最近ではアマゾンで出版できるという出版のハードルも下がってきていて、「これは書き始めてもいいかな」と思い始めたのです。
おそらく「本を出したいな」と思っている人はけっこういると思います。
そういう人にとって、今のネットの状況は自分の文学を発表しやすい状況になっているのではないでしょうか。
ぼくもその一人です。
ぼくの場合はまずはブログで投稿していって、腕を上げていくところから始めてみようと思っています。
それで出版まで行きつくというのが目標です。
そう考えてみると、ぼくも「インターネット文学」にちゃんとお世話になっていましたね。
おしまい
written by SEGE