今週のお題「祝日なのに…」
日曜日は働いてはいけない【日曜日は安息日】
祝日なのに働くことはありますよね。
本当は休みたいよね。
じゃあ、働く意味って何なんでしょうか。
日本の祝日とは憲法で一応定義されています。もともとは皇室関係の祭日です。
それはおいといて、ちょっと違った視点から祝日を考えていきます。
毎週末は祝日だよ
旧約聖書に基づくと日曜日もしくは土曜日は働いてはいけません。
そもそも1週間が7日というのは聖書が由来だし、1週間の7日目である土曜日は神様がや休む日です。
天地創造をして7日目に神さまが休んだということです。人々は何もせずに神様に感謝する日です。これを安息日といいます。
ユダヤ教では安息日は土曜日。キリスト教では安息日は日曜日になり、ミサは日曜日に行われていますね。
また、西暦はイエスキリストの誕生したとしから数えて何年かという暦です。
日本が、世界中が実は聖書に基づいた暦を利用してい動いているということです。
そう考えていくと、日曜日は毎週の祝日なんですよね。もちろん日本人のほとんどはそんなこと考えずにただ休む日として週末を過ごすわけですが。
安息日(祝日)に働くことは罪だった
働き方改革の旗印にしたいような決まりですね。モーセがいただいた十戒に、「6日働いて、7日目に休め。いかなる仕事もしてはならない」と記されています。
ただし6日働かなくてはならないので、週休二日の現代社会のほうがいいかもしれない。
ところが、この決まりを破ったのがイエス・キリストです。イエスは安息日に働いたのです。
「え?じゃあ休みないじゃん!」
という声が聞こえます。いや、働いたといっても労働をしたということではなく、イエスは人を癒したり治したり、社会の底辺の人たちを助けていたのです。
お金もらっていたわけでもありません。
これを労働ととるかは微妙なところですが、しかしこのイエスの行動でさえ、当時のユダヤ社会では許されていませんでした。
イエスを犯罪者におとしめようとする人たちがたくさんいました。
「なんであなたは安息日にはたらいているんだ。いいのか?」
と問いただす人たちがいたんです。
実際最終的にはイエスは十字架刑という死刑にかされてしまいますよね。
なんで?!人を助けているのに?!
そうなんです。だからイエスはこういったんです。
「決まりを守ることが大事なのか。人を愛することが大事なのか。互いに愛し合うことが一番大切な決まりだ。」
かなり簡単にいうとそういうことです。
おお、正しい!
と思いますよね。
休日に働くということ
ぼくが言いたいのは、「休日も働け」ということではないですよ。
もしも休日なのに働くことになってしまったら、イエスのように考えるといいのかなと思います。
本来ぼくたちは世の中のために働いているのではないでしょうか?もちろん自分のためですが、それを通して世の中に役立っているんじゃないでしょうか?
直接人を癒したり、治したりはできなくても、ぼくたちの仕事はだれかのために必ずなっていますよね。
そう考えると、休日に仕事が入ってしまっても、
「やってやるか!望むところだ。」
と思える部分も出てくるかもしれません。
もしも微塵もそんな思いが出てこないなら、その仕事やめたほうがいいかもしれません。
今一度、自分は何のために仕事をしているのか、考えるって大切だと思います。
でも反対に、あんまりまじめに考えすぎて毎日休みなく働くというのもぼくは違うと思います。
やっぱり休むということは必要です。体のため、心のため、身近な人のため。
だから安息日があるというのはとても理にかなっていて、本当はそういう人間のバランスを保つためのシステムなのかもしれません。
何もしない。ぼーっとしている。ただ感謝の気持ちを持つ時間をゆったりとる。
これはすごく大事なことです。瞑想も流行っていますが、無になるというのは健全であるためにすごく必要なことなんです。
これについて書き始めるときりがないのでやめますが、安息日を考え付いた人はすごい人ですよね。
めちゃくちゃ感謝したいです。
副業も流行ってきていますが、やりすぎはよくないです。本業が休みの日に副業をしまくっていたら働きすぎになりかねません。
みなさんも気をつけてくださいね。
おしまい
written by SEGE