自分でなおす!物も体も心も!

素人が何でも自分で直す・治す記録。日常で壊れる物、痛む体、悪い癖、物も体も心もなおす小ネタから専門的なことまで。直らない時もあるけど。それも含めてぜひご自分の生活に活かしてください。written by SEGE

日曜日に働いてはいけないのは聖書に書いてあるから【日曜日は安息日】

今週のお題「祝日なのに…」

 

f:id:SEGE:20210127235715p:plain

日曜日は働いてはいけない【日曜日は安息日


祝日なのに働くことはありますよね。

 

本当は休みたいよね。

 

じゃあ、働く意味って何なんでしょうか。

 

日本の祝日とは憲法で一応定義されています。もともとは皇室関係の祭日です。

 

それはおいといて、ちょっと違った視点から祝日を考えていきます。

 

毎週末は祝日だよ

 

旧約聖書に基づくと日曜日もしくは土曜日は働いてはいけません。

 

そもそも1週間が7日というのは聖書が由来だし、1週間の7日目である土曜日は神様がや休む日です。

 

天地創造をして7日目に神さまが休んだということです。人々は何もせずに神様に感謝する日です。これを安息日といいます。

 

ユダヤ教では安息日は土曜日。キリスト教では安息日は日曜日になり、ミサは日曜日に行われていますね。

 

また、西暦はイエスキリストの誕生したとしから数えて何年かという暦です。

 

日本が、世界中が実は聖書に基づいた暦を利用してい動いているということです。

 

そう考えていくと、日曜日は毎週の祝日なんですよね。もちろん日本人のほとんどはそんなこと考えずにただ休む日として週末を過ごすわけですが。

 

安息日(祝日)に働くことは罪だった

 

ユダヤ教ではこの安息日に働くことは許されていませんでした。

 

働き方改革の旗印にしたいような決まりですね。モーセがいただいた十戒に、「6日働いて、7日目に休め。いかなる仕事もしてはならない」と記されています。

 

ただし6日働かなくてはならないので、週休二日の現代社会のほうがいいかもしれない。

 

ところが、この決まりを破ったのがイエス・キリストです。イエス安息日に働いたのです。

 

「え?じゃあ休みないじゃん!」

 

という声が聞こえます。いや、働いたといっても労働をしたということではなく、イエスは人を癒したり治したり、社会の底辺の人たちを助けていたのです。

 

お金もらっていたわけでもありません。

 

これを労働ととるかは微妙なところですが、しかしこのイエスの行動でさえ、当時のユダヤ社会では許されていませんでした。

 

エスを犯罪者におとしめようとする人たちがたくさんいました。

「なんであなたは安息日にはたらいているんだ。いいのか?」

と問いただす人たちがいたんです。

 

実際最終的にはイエスは十字架刑という死刑にかされてしまいますよね。

 

なんで?!人を助けているのに?!

 

そうなんです。だからイエスはこういったんです。

 

「決まりを守ることが大事なのか。人を愛することが大事なのか。互いに愛し合うことが一番大切な決まりだ。」

 

かなり簡単にいうとそういうことです。

 

おお、正しい!

 

と思いますよね。

 

休日に働くということ

 

ぼくが言いたいのは、「休日も働け」ということではないですよ。

 

もしも休日なのに働くことになってしまったら、イエスのように考えるといいのかなと思います。

 

本来ぼくたちは世の中のために働いているのではないでしょうか?もちろん自分のためですが、それを通して世の中に役立っているんじゃないでしょうか?

 

直接人を癒したり、治したりはできなくても、ぼくたちの仕事はだれかのために必ずなっていますよね。

 

そう考えると、休日に仕事が入ってしまっても、

「やってやるか!望むところだ。」

と思える部分も出てくるかもしれません。

 

もしも微塵もそんな思いが出てこないなら、その仕事やめたほうがいいかもしれません。

 

今一度、自分は何のために仕事をしているのか、考えるって大切だと思います。

 

でも反対に、あんまりまじめに考えすぎて毎日休みなく働くというのもぼくは違うと思います。

 

やっぱり休むということは必要です。体のため、心のため、身近な人のため。

 

だから安息日があるというのはとても理にかなっていて、本当はそういう人間のバランスを保つためのシステムなのかもしれません。

 

何もしない。ぼーっとしている。ただ感謝の気持ちを持つ時間をゆったりとる。

 

これはすごく大事なことです。瞑想も流行っていますが、無になるというのは健全であるためにすごく必要なことなんです。

 

これについて書き始めるときりがないのでやめますが、安息日を考え付いた人はすごい人ですよね。

 

めちゃくちゃ感謝したいです。

 

副業も流行ってきていますが、やりすぎはよくないです。本業が休みの日に副業をしまくっていたら働きすぎになりかねません。

 

みなさんも気をつけてくださいね。

 

おしまい

 

written by SEGE

ぼくを救ってくれた言葉「私と一緒に卒業しよう」

今週のお題「この支配からの卒業」

f:id:SEGE:20210127235715p:plain


ぼくを救ってくれた言葉「私と一緒に卒業しよう」

 

もはや大学にいる意味なんて感じなく、ぼくは大学を辞めようと思っていた。

 

法学部に入ったものの、それがぼくの本当に進みたい道ではなかったことがすぐに分かった。

 

「もう一度受験して医学部行く」とか、「工芸の道へ進む」とかほざいて英単語本を買ったりしたこともあった。

 

高校までの閉塞的な生活ではなくなり、バイトで稼ぎまくっては毎日のように飲み歩いて遊びまくっていた。

 

サークルでは代表を務めていた。

 

しかも存続の危機になるくらい人数が減ったときに引き継いだもんだから3年生の時はサークルを立て直すことに時間もお金も費やして単位がやばくなった。

 

そんな感じだったし、法律関係に進む気なんてさらさらなく、何か別のことをしたかったら大学にいる意味なんてなくなっていた。

 

それに中退している有名人だって大勢いる。

 

がんばって4年生で単位をしっかりとることにどれほどの意味があるのか。それよりも新しいことを始めたほうがいい。

 

そんな風に思っていた。

 

学校という支配

そもそもぼくは中3の時に、

「高校は義務教育じゃないから行かない。やりたいことがないのに行くなんておかしい」

と言い出して、家でも学校でも騒ぎになった。

 

「人の人生がなんで人生よりも狭い学校という環境に強制され束縛されなければならないのか」

という思いが、ぼくの中には10代からずっとあった。

 

学校が行かなくてもいいものなら納得できるけど、学校に行かないという選択肢を持たせない今のシステムに怒りを覚えていた。

 

なんで生き方を強制されなきゃいけないの?可能性を広げるとかいって実は可能性をせばめている。価値観を強制している。

 

だから尾崎豊さんの「卒業」という歌の「この支配からの卒業」という言葉は、ぼくなりによく理解できた。

 

結果として、ぼくはこのブログでも触れているけど、就職活動といえば昔の恩師に思いを伝えにいったくらいで、それがきっかけで卒業後にフリーターになって音楽を始めた。

 

その後音楽の道へ踏み切れ、放浪の旅に出られたのは、結局は大学4年生を送り卒業ができたからだと今では思える。

 

なぜ中退を踏みとどまったのか

ではなぜ踏みとどまれたのか。

 

当時ぼくはファミマの夜勤をやっていた。そこでバイト仲間だった女の子と仲良くなり、飲み仲間になっていた。

 

お互い彼氏や彼女がいたし、つきあってはいなかったけど、ぼくは「かわいい子だなあ」と思っていた。

 

その子は服飾の専門学校に通う1つ下の女の子だった。

 

専門学校は3年制だから、卒業がぼくと同じ年になる。ぼくはその子と飲むたびに熱く今の思いや将来について語っていて、その中で「おれ、大学辞めようかな。」と話したのだ。

 

その時、彼女はぼくに、

「だめだよ。卒業しよう。私と一緒に卒業しよう。」

と言ったのだ。

 

当時のぼくに、ぼくの友達、彼女、先輩、親以外のだれ一人としてそんな風に言ってくれる人はいなかった。

 

ぼくはうれしかった。心からぼくのことを心配してくれて卒業しようよと、しかも「私といっしょに卒業しようよ」と言ってくれている。

 

親が言う「将来のために卒業しなさい。後で後悔するから。社会に出たら役に立つから。」という言葉とは全く違う。

 

ぼくの心にあたたかくささった。

 

そしてぼくは心に決めた。「卒業しよう」と。

 

でも現実、3年生のときに落とした単位は致命的だった。卒業するためには一つも落とせない状況になっていた。

 

でも、ぼくはがんばった。ちゃんと4年生で卒業できたのだ。

 

今なら思う。あのとき辞めなくてよかったと。それは、中退する道だってあったのだけど、もし中退していたらぼくは後悔していたと思う。

 

それは親が言ってたような、社会に出たときに不利になるからという意味ではない。

 

どこか中退に酔っていたところや、やれたのにやらなかったとか、中退するまでの理由や次の行動がはっきりしていたわけではなかったということだ。

 

入れてくれた親の思いや、進めてくれた高校の先生たちの思いを踏みにじってまで中退するほどのものがぼくにはなかったと思う。

 

もしあのまま中退していたら不義理を果たしたと思っている。うしろめたい思いを抱えたまま今でも生きているだろう。

 

ぼくはその後就職せずに歌と放浪の生活に入るわけだけれども、うしろめたい思いを抱くことなく、晴れてフリーターになれた。

 

ちゃんと「支配から卒業」したのだ。

 

中退を踏みとどまらせてくれたあの子にとても感謝している。

 

その子は、8年後ぼくの奥さんになった。

 

おしまい

 

written by SEGE

ぎっくり腰を治すためにすること・してはいけないこと

 ぎっくり腰を治すためにすること・してはいけないこと

 

f:id:SEGE:20210311214612j:image
薦め度☆☆☆☆☆

真剣度☆☆☆☆☆

難易度☆☆☆☆

技術度☆☆

解決度☆☆☆☆

対象:40歳男性美容師

症状:朝ぎっくり腰になった

 

成り行きと見立て

友達の美容師に切ってもらってます。この前カットお願いしに行くと「今朝ぎっくりごしになっちゃって」とのこと。

 

「今腰にカイロつけてます。あっためているんですよ。腰痛なので。」

 

はい。間違ってます。

 

ぎっくり腰になった時してはいけないこと

絶対あっためてはいけません。悪化するか治りにくくなるかのどっちかです。

 

ここ、すごく間違える人多いですよ!

 

腰痛=あっためる と耳にしたことを、ぎっくり腰に適用してはいけません!!

 

あっためていいのは、慢性の腰痛とか、ぎっくり腰になって旧制の痛みがひいくてる2,3日後以降です。

 

何度も書きますが、ぎっくり腰になりたては炎症があるためあっためてはいけません。じっくりお風呂も入ってはいけません。入りたいならシャワーでさっとです。

 

あっためたら炎症が悪化するだけです。打撲とか捻挫とかで炎症があったら普通冷やしますよね?

 

そうです。ぎっくり腰は冷やしてください。

 

ぎっくり腰になったらすること

美容師の友達に言われて、ここは出番だな!と思い、

「じゃ腰やってあげるよ。」

と言うとここじゃほかのお客さんもいてなんなのでと、バックヤードへ連れてかれる。

 

さて手当です。

 

ぎっくり腰のときにこの方法をすれば痛みが半分以上なくなります。兄と研究して覚えてぼくのお決まりのやり方があり、ぎっくり腰には今まで100%効果があります。

 

ぎっくり腰の原則は、

・痛みが出る動きはしない

・痛みが出ない動きはしていい

です。

 

当たり前のようですが、この手当ての仕方はこの当たり前の原則のことしかしないんです。

 

どんな動きで痛みがどこに出るのかと最初に検査します。そして痛みが出ない方向に体を倒すことを繰り返す。

 

これだけです。この方法については過去2回配信しています。今日の記事の一番最後にリンクがあるので是非見てください。手当ての方法について詳しく書いてあります。

f:id:SEGE:20210311214605j:image

f:id:SEGE:20210311214612j:image

 

彼の場合は、右前に倒すのが痛まない方向なので、これを数回繰り返します。

vimeo.com

 

もっと効果を上げるには、痛みがでる部分に指圧をしながら体を倒させるとよいです。おそらく指圧した部分にぎっくり腰とは違う痛みが出ます。

 

その痛みは出ても大丈夫です。むしろ効いてます。

 

彼の場合は指圧せずに手当てをして、手当て前の痛みを10としたとき、4に減りました。ここまでで1分もかかりません。

 

そのあとぼくの髪の毛をカットしてもらうと当然また痛みはじめたので、カット後に今度は指圧を入れて手当てをしました。

 

「いてえ!!」

と指圧したところの痛みを訴えましたが、指圧部分の筋肉が痛いわけです。

 

これによってさらに痛みは解放されます。痛みは2に減りました。

 

仕事上、美容師さんは腰を使うので手当てのあと仕事をしたらまた悪くなるのは当たり前です。

 

だから本当はその日の最後にやってあげるといいですし、そういう場合は、痛みが出てきたら合間合間に何度かやる必要があります。

 

ぼくが最後のお客さんだったので、やってあげました。それと朝起きるときには体がこっているので、体の起こし方に気を付けるようにアドバイスしました。

 

寝る前に一度痛まない起き方のシミュレーションをしておくようにと。

 

朝の寝起きがけっこう危ないので。

 

彼のほかにも店員さんに腰椎分離症の若者とヘルニアの若者がいたので、「おまえらもやってもらいなよ。」という流れになり手当て開始。

 

さすがに分離症は無理です。腰の骨のとび出ている部分が離れているので。

 

でもヘルニアには効きます。腰を痛くない方に倒す動きは、ヘルニアのとび出ている部分をひっこめる動きでもあるからです。

 

彼の場合慢性期ですが、案の定「すげえ腰が軽くなった!」という反応。

まとめです。

 ぎっくり腰になったらあっためないで冷やす。だれでもできる、簡単に痛みが軽減する方法がある。

 

以下の2つの記事で、詳しく説明していますよー。 

物をとる時に痛めたぎっくり腰を簡単に緩和させる方法

ぎっくり腰を自分で治す治し方

 

おしまい

 

☆このブログ「自分でなおす」は、あくまでも素人の投稿ですので、正しいなおし方かどうかの保証はありません。おっさんがんばってるなあ、それはちがうだろとか思っていただけたら満足です。みなさんのお役に立てる情報になれば、なおうれしいです。

プロの方からのクレームはお控えください。反対に耳寄りな情報、解決法を教えていただけたら大変ありがたいです。読者の方々にとってとても有意義なものになると思うので、ぜひ教えてください。

 

ご拝読ありがとうございました。

東日本大震災から10年

 

東日本大震災から10年

f:id:SEGE:20210310205609j:image

もう大震災から10年になる。

 

当時ぼくは32歳だったか。

 

まだ子供がいなかった。新婚生活まっさかり。計画停電をアパート暮らしで経験した。

 

連日テレビで東北の惨状が伝えられた。

 

友達もたくさん東北にいる。その友達の友達が行方不明になっているということで、探し当てる手伝いをしたこともあった。

 

日本二周もしていたので、知り合いも多いし、自分で歩いた場所、連れて行ってもらった場所など思い出の場所が破壊されていた。

 

胸が痛む。そんな風ではなく、ぼくの心はどちらかというと病んでいった。

 

ちょうど仕事は連休があった時なので、家にずっといるし、テレビは目に入るし、フェイスブックなどネット上では様々な情報が飛び交っていて、否が応でも情報漬けになった。

 

原発が爆発し、放射能問題が立ち上がると、今度はそれについてのさまざまな情報が飛び交った。

 

フェイスブックでは激しい意見が寄せられていた。

 

「おまえはどっちの人間なんだ。」

 

と煽るような意見も。だまっていることすら罪悪感を感じさせるように、他人から身近な人が発信していて、勝手に精神的に追い詰められていく。

 

友達だった人が遠くなっていったり。それは向こうも思っていたかもしれない。でもそうやって災害でぼくらは引き裂かれていいのか?

 

自分自身も、

「おまえはだまってじっとしているのか?」

と自分に問いかける。

 

かけつけたくても仕事に穴をあけられないのでかけつけることもできない。阪神大震災のとき、

「次にこういうことがあったら絶対ボランティアに行く」

そう決めたつもりだったのに、結局行けなかった。

 

何もできない。

 

放射能については何が正しいのかもわからない。

 

音楽なんて意味ない。歌うことなってやってられない。何を歌えばいいの?おれなんかが歌って何になるの?

 

そんなふうにどんどん自分が追い込まれていった。

 

実際ボランティアに行くにしても、日帰りや1,2泊程度でできるわけではなかった。

 

だからどうすることもできなかったんだけど、それは全くなぐさめにならず。だって、今まさに知っているだれかが苦しんでいるかもしれないのだから。

 

8年後

ぼくは初めて東北大震災に関連するボランティアに参加した。ボランティア以外では震災の翌年、現地にいる友達に会いに行ってはいた。

 

でも、ボランティアができなかった。正直怖かったんだと思う。こんな自分ができるのだろうかと。

 

でも惨状は目にしておかなくてはならないと思って、被災地を車でめぐった。

 

気仙沼のある友達には「見に来るだけならこないでほしい」と言われた。

 

その通りだと思う。

 

それも分かっていた。でも、何もしないわけにもいかなかったし、逆に岩沼の友達のお父さんには、

「来てくれて、見に来てくれてありがとう!たくさん目にして、東京の人たちに伝えてくれ。」

と、とても感謝された。

 

どれも本当だと思う。正解なんて逆にないと思う。自分が足を動かすこと。耳を傾けること。

 

それしかない。

 

昔、当時の彼女と訪れた宮城の海岸の美しい防風林が無残にもなくなっていたり。

 

崖の下は全てかっさらわれ、崖の上は無傷。天国と地獄。生きのこった方々の「死んでしまった 生きてしまった」という声がぼくの心の中に響いていた。

 

生き延びて幸せ!なんていえない。

 

友達のお母さんもなくなっていた。外部の者が出向いて何かかける言葉なんてない。ただ一緒にいるだけ、ただ聞くというだけ。

 

そして8年後。念願かなって初めてボランティアをした。正直言って遅かったかもしれない。

 

時間がかかったのは自分に子供ができて、余り身動きができなくなったからというのが大きいと思う。

 

でもやらないよりはやったほうがいい。思いは絶対消さずに、粘り強く持っていた方がいい。

 

そうやってきた。

 

8年もたてばさすがに物理的なボランティアは需要がほとんどなく、ぼくは放射能問題でまだまだ救いの手がいる福島に行った。

 

でも、行ってよかった。

 

まだ自分が必要とされていた。手助けにいったんじゃなくて、これは自分が救われに行っているんだった。

 

ぼく自身はいくらか救われた。でも、地元の方々の心の傷は表には表れないけど、深く癒えずに残っているんだと思う。

f:id:SEGE:20210310205609j:image

この写真の額は南相馬のボランティアベースに飾ってあったもの。

 

LIFE GOES ON

自責の念からなかなか逃れられずに何年も過ごしていた。

 

ある時テレビでスチールパンという楽器で有名なトリニダード・ドバコが特集されているのを見た。

 

トリニダード・ドバコでは学校にスチールパンがあって、子供たちが普通に習って習得していくほど、ありふれたものだ。

 

本の学校でリコーダーを習うようなものか。

 

なので彼らの演奏はめちゃくちゃレベルが高い。その中でも有名なバンドがあり、そのバンドがテレビで特集されていた。

 

取材におとずれたのは、震災にあった日本のミュージシャンで、そのミュージシャンの方は震災後自分の活動に疑問を持ち続けていたという立場からそのバンドにインタビューしていた。

 

トリニダード・ドバコは実は治安がいい国ではない。

 

バンドが練習していると、少し先で銃撃戦が始まるというような状況なのだ。

 

そこで知人が亡くなるということも珍しくなく、トリニダード・ドバコの人々は死ととなり合わせ、悲しみを背負って生活しているということ。

 

インタビューにバンドのメンバーはこう答えた。

 

「悲しいよ。でも、人生は続くんだ。ずっと悲しんでいるわけにはいかない。だから演奏するんだ。それが生きるってことだ。Life goes on。」

 

ぼくは、

「そうか。人生は続くんだ。音楽をやっていいんだ。笑ってもいいんだ。」

そう思って、すごく楽になった。

 

突然奪わないで

でも、それでも腑に落ちないことがあった。

 

それは、だからといって東北の人々に「元気出そうよ。人生は続くよ。」と言えるのか?と。

 

ぼくは言えないと思う。

 

ある時ふと分かったことがある。それは、「突然大切なものを奪わないで!」ということだ。

 

メメントモリという言葉があるけど、ぼくはぼくなりに「今死ぬならどうする?何を後悔する?」というように思うようにしてきた。

 

本当は人間だれしもいつ死ぬかということはわからないもの。

 

それは50年後かもしれないけど、1秒先かもしれない。

 

それは自分かもしれないし、親しい誰かかもしれない。

 

だから死はいつもとなりにあるはず。

 

もっと言えば、死に方だって選べない。病気かもしれない。事故かもしれない。殺人かもしれない。自殺かもしれない。

 

災害かもしれない。

 

じゃあだからと言って、

「人は必ず死ぬものさ。震災で誰かを失ったとしても、どうせいつか死ぬはずのことだったんだよ。」

そんなこと言えるわけないし、そう思ってるなら腐ってる。

 

じゃあ何が違うのか。

 

それは、大切なものを突然奪われたら、心の整理ができてなくてとてもつらいということなんだと気づいた。

 

ぼくが失ったとても大きなものと言えば、祖父母や飼い犬、そして最近では自分の実家が5年前に壊されたこと。

 

ぼくはそれさえも胸がうずく。

 

自分が育った家がなくなる。思い出がなくなる。宝物が亡くなる。

 

それがある日突然前触れもなく、奪われたら?しかもそれが家ではなく人だったら?

 

ぼくは耐えられそうもない。

 

そう考えたときに、災害で大切な人や家などを失った方々の胸の痛みが一気に押し寄せてきた。

 

人の大切なものを突然うばっちゃいけない。

 

人間ていうのは、徐々にそれを受け入れていく時間が必要なんだよ。

 

病気でなくなるならまだその準備がある。どこかで折り合いがつけられる日が来る。

 

でも突然奪われたら・・・

 

実は大震災だけではない

そしてそこに気づいた先には、突然命が奪われるということは、大震災だけじゃないなということにも気づいた。

 

大型台風で命や家を奪われた方々も多いだろう。我が家も庭まで浸水した。

 

実は大きなニュースにならなくても今までにも台風で川があふれて被害にあっているというニュースはたびたび目にしていた。

 

でも、それは大震災ほどの規模でないにしろ、当事者の方々にとっては同じような大きさの心の傷なのではないかと思ったのだ。

 

大型台風ではなくても、ほんの数名の被害であっても、その人たちの心に起きていることは同じなんじゃないか。

 

災害じゃなくても、我が子が自殺した。誰かに殺された。事故で突然亡くなった。全部同じくらい大きなことなんじゃないか。

 

生きのこった人たちの心の傷は同じなんじゃないか。

 

そう思うに至った。

 

そして震災10年。もう10年なのか。それともまだ10年なのか。

 

一つ言えることは、東北の方々の心の傷は癒えていないということ。

 

そしてぼくを含め、被害を受けていない人々はまだまだやれることがあるということ。耳を傾ければ聞こえてくる声があるということ。

 

聞こうとする耳と動こうとする足があれば。

 

今年はまた福島に行けるかな。

自分で確かめた花粉症に効果的なこと

今週のお題「花粉の季節です」

関連記事:

sege.hateblo.jp

f:id:SEGE:20210307132144p:plain


 

自分で確かめた花粉症に効果的なこと

ぼくはそもそも20代まではアトピー持ちだったので、アレルギー体質ではあったということです。

 

でも花粉症とはずっと縁がなく、対岸の火事的に見ていましたが30代になってあるとき目のかゆみとくしゃみにみまわれました。

 

それが5,6月のことだったので花粉症だとは最初は思わず、とにかく目が充血するので眼下にいったところ、「花粉症ですね」と言われてしまい、花粉症デビューをはたしたわけです。

 

何の花粉なの?と思い質問してみると「この時期はイネ科ですね」とのことでした。

 

それに思い起こしてみると5月6月でも症状がない日もあります。なんでかなと考えると、くしゃみが出たり目がかゆくなる日は多摩川で子供遊んだ日が多いんですよ。

 

多摩川に行ってなければほとんど症状なく過ごせていることに気づいたので、もしかしたら多摩川に生えているススキかなんかの花粉なのかなとも思っています。

 

少しショックでしたが春先のスギ花粉ほどひどくもなく、初夏は多摩川になるべくいかない、外出を控えるということをすればあまり苦もなく過ごせるし、仮に症状が出ても市販の目薬で十分抑えられることもここ2年くらいで分かりました。

 

ただ、健康マニアとしては「薬を使わず花粉症を治す」ということをやはり目指したいので、いろいろ試しています。

 

薬はあくまでも症状を「抑えているだけ」なので。

 

鼻の穴にワセリンを塗る

 

これは物理的に花粉をブロックする方法です。鼻の穴にワセリンを1日1,2回塗ることで、鼻から入る花粉をキャッチしてしまいます。

 

効果がある人は8割くらい軽減しますよ。

 

ぼくも塗りましたし、奥さんは花粉症なので試してもらって効果を感じています。

 

ただしこれは花粉症である体を改善しているわけではないので、根本治療には程遠いです。

 

でも効果はあるのでおすすめです。

 

ダチョウの卵から作ったキャンディ

 

これは2年前に出会った人が販売していた飴です。身近にこんなものを売っている人がいると思わずびっくりしましたが、効きました。

 

販売者本人が強い花粉症もちで、なめはじめて2年たったけど、今はなめなくても症状がないということだったので、ぼくも買ってみました。

 

news.nicovideo.jp

販売者の知人はダチョウの研究者と出会い販売までこぎつけたらしいですが、詳しくは上のサイトをご覧ください。

 

ダチョウの卵から抽出された抗体が効くということで、体内に入ってきた花粉をつかまえてしまうそうです。

 

ぼくもなめてみましたがその年はなめてから症状が出ませんでした。1袋2000円なので安くはないですが、試す価値はあります。

 

ちなみにうちの父親も花粉症がありためしてもらったら父には効きませんでした。

 

遠方にいて、どんなふうになめたのかちゃんと確かめていないのでわかりませんが、なめるペースも工夫があるのでまた試してほしいところです。

 

そして去年もやってみようと思い買おうと思ったら、「コロナで製造ができず販売中止」になってしまっていました。

 

残念!!

 

そのほか心当たりのある治療法

 

ようするに花粉症は体質の問題です。前はなっていなかったのにある時から症状が出たということは、体質が変わったということですよね。

 

だから体質を改善すればいいわけです。それが根本的な改善ということです。

 

その点で言えばいろいろな治療法が出ています。

 

そして詳しい仕組みとしてはアレルギーは基本的に異物に対しての免疫反応なので、免疫が過剰にならないようにすれば症状がでなくなります。

 

じゃあどうすればいい?

・免疫反応を起こす細胞の作用を抑える

・免疫反応を抑制するTレグ細胞を活性化させる

・アレルゲンの物質が体内に入ってくることに体を慣れさせる

・アレルゲンの物質を体内に蓄積させない、排出させる

 

このうち以前お知らせしているものの一つは、Tレグ細胞についてです。

sege.hateblo.jp

アーミッシュの方々はアトピーがなく、調べるとTレグ細胞が多いことがわかっています。

 

さいころからアレルゲンの多い生活をしているとTレグ細胞が適度に多くなりアレルギー反応を起こしません。

 

「もう小さいころに戻れない!」と思うかもしれませんが、アレルゲンになれる治療法としては舌下免疫療法が最近有名になってきましたね。病院でやってくれます。

 

少しずつアレルゲンを体内に入れていってアレルギー反応が起きないように慣らしていく方法です。

 

だからこれはすごい理にかなっています。

 

あとは日常的に食べ物などから悪い物質を体内に入れていることで悪い物質が体内で飽和的になっているためにアレルギー反応を起こしやすいという場合もあります。

 

こういう場合には食事を改善していくというアプローチの方法があり、これもいろいろな本が出ています。

 

でもぼくは野菜だけの食事とかしたくないので気がのりません。

 

整体で治す

 

整体でも花粉症が治るということを聞いたことがあり、ぼくのかかりつけの整体師さんも治せると言っています。

 

「発症している時期に来てください」と言われていますが、まだ花粉症の時期に行ったことがないので確かめられてません。

 

今年はいけるかな?

 

整体で治すというのは、あながち突飛な話ではありません。というのも免疫をつかさどる細胞は大腸にあるからです。

 

その整体師さんも「大腸の右下腹部あたり」を施術すると言っています。

 

つまり腸内の細胞バランスが整えばアレルギー対策になるとぼくは理解しています。

 

それが整体からのアプローチなのか、他者から便を借りてフローラを改善するというアプローチなのか、薬なのか、舌下療法なのかということです。

 

ちなみに、実際くしゃみが出るときに右下腹部を押さえるとくしゃみが止まることがありますよ。一時的にですが。

 

腰骨が出ているところから内側に3,4cmのところ、やや下あたりです。

 

ということでいろいろ紹介しましたが、ぼく自身はかならず治ると信じています。できれば飴じゃなくて体質を変えたいなと思っています。

 

いろいろ試している最中です。5月になるのが楽しみです。またその時に報告しますね。いろいろみなさんも試してみてくださいね。

まとめです。

 手っ取り早いのはワセリンを鼻の穴に塗ること

 

関連記事:花粉症を食い止めるのに成功↓

sege.hateblo.jp

 

 

おしまい

 

written by SEGE

自分のブログを見直す

 自分のブログを見直す

おはようございます。SEGEです。

 

年度末になっていて仕事が忙しいので、ノルマを少し緩めて、しばらくは雑記系にして気まぐれタイミングの投稿にしていきます。

 

今年は占いで「無理はしない」と出ているので、結構その言葉はしっくり来ていて大事にしています。

 

わりと無理してやりすぎるタイプなので。

 

そういう人はほどほどにする術も覚えましょう。

 

それと今週になってからやけにプレビューが増えています。今まで平日になると下がっていたのに平日になっても下がらず、むしろ土日より多い日があります。

 

だからむしろ投稿数を下げて実験するいいチャンスだと思っています。

 

それと、「なぜプレビューが増えている?」ということを考えています。

 

これはすごく大事なことですよね。

 

境目としてはこの前の土日にコンセントカバー割れた【石膏ボードごと補修する】①の記事を見直して更新したことくらいしか思い当たりません。

 

(怪しい話をすれば最近マントラを唱えまくっているというのもあるかも)

 

みなさんグーグルアナリティクスでチェックしていると思うんですが、最近多いなあと思っていた記事がそのコンセントカバーの記事で、それをちょっと直して更新したんですよ。

 

以前にも更新したとたんにプレビューがはねあがることがあったので、更新するのは効果的です。

 

それはツイッターと連携しているのでその影響もあったと思います。

 

以前と違うのが、その跳ね上がりがその日だけでなく、1度の更新で継続して毎日続いていることです。

 

あと、最近はツイッターからのプレビューをグーグルからのプレビューが抜いたので、これはぼくのブログがグーグルに認められはじめたことを示しているんじゃないかと考えています。

 

ぼくのブログは特化ブログ系なので、どちらかというと読者を増やすよりも、困った人、直し方を知りたい人が一見で見に来るタイプだと思っています。

 

プレビューが多くても読者はつきにくいタイプ。

 

だからグーグルにひっかかるようになることは大きな前進です。

 

とはいえ、ぼくのブログはまだまだ本当にしょぼい来客数です。

 

理由はいろいろあります。

・健康系やDIY系は競争が激しいから

・内容がマニアックだから

・特化ブログにしているので、ぼくの人間性が見えにくいから

・仕事や顔をオープンにしていないから

 

それでも読者になってくださっている方々に本当に感謝しています。

 

ただ、数字は上がってきています。自分のブログの特性を考えて、読者数の目標はとりあえず50にしてあります。

 

それと5年、10年プランで力をつけていく予定なので、このブログをスタートとしていろいろ波及していけたらというイメージです。

 

だから今のところこのブログの方向性は変えないつもりです。

 

もちろん新しい局面になってきたり、かなりプレビューが増えてきたら突然方向を変えることもあるでしょう。

 

最近は日本二周したころを振り返る回顧小説をnoteで書き始めました。

SEGE|note

 

なので投稿頻度が変わる可能性もあります。

 

ちなみに回顧小説の方は単純な旅日記にする予定ではなく、本当に本当の大切なことは実は旅をしたときには得られなかったということがテーマです。ここだけの話ですが。

 

それは40歳前後になった今という視点からしか見えてこないものです。

 

そういったことを伝えて誰かの心のお供になることを目指しています。だからこのブログともつながってくるかなと考えています。

 

 

おしまい

 

ご拝読ありがとうございました。

自転車のタイヤの空気が抜けていたから虫ゴム代えたけど直らず

 自転車のタイヤの空気が抜けていたから虫ゴム代えたけど直らず

関連記事:自転車の空気を入れてもその場から抜けていくのは虫ゴムの劣化

薦め度 ☆なし

真剣度 ☆☆☆☆☆

難易度 ☆☆☆☆☆

技術度 ☆☆☆

解決度 ☆なし

対象:自転車の後輪

症状:気づいたら空気が抜けていた。入れても漏れる音しない。

 

成り行きと見立て

 漏れる音が聞こえないからパンクかどうか分からない。

 

前回前輪は虫ゴムが劣化していました。

自転車の空気を入れてもその場から抜けていくのは虫ゴムの劣化

 

じゃあ今度は後輪?と思って後輪の虫ゴムを交換してみた。

 

前回の反省から、栓を抜くときに飛んでいかないように、プライヤーで押さえながら抜いたら安全にできました。

f:id:SEGE:20210302205518j:image

vimeo.com

 

ところが虫ゴムを確かめてみると特に大きな劣化は見られません。

 

vimeo.com

 

それでも一応新品の虫ゴムに交換して元に戻しました。

vimeo.com

 

2時間後見に行くと・・・また空気が抜けていました。

 

ということは、パンクですね。

 

まとめです。

自転車の空気の栓を抜くときは、飛ばないようにする。パンクのときは虫ゴム交換は意味がない。

  

おしまい

 

今日の関連記事:自転車の空気を入れてもその場から抜けていくのは虫ゴムの劣化

 

☆このブログ「自分でなおす」は、あくまでも素人の投稿ですので、正しいなおし方かどうかの保証はありません。おっさんがんばってるなあ、それはちがうだろとか思っていただけたら満足です。みなさんのお役に立てる情報になれば、なおうれしいです。

プロの方からのクレームはお控えください。反対に耳寄りな情報、解決法を教えていただけたら大変ありがたいです。読者の方々にとってとても有意義なものになると思うので、ぜひ教えてください。

 

ご拝読ありがとうございました。

 

 

written by SEGE